Y染色体の退化・消失で性は失われてしまうのか!? 多様な動植物の性染色体研究から性の存続機構をひも解く!
1. 概要
東京都立大学大学院理学研究科の野澤昌文准教授、広島大学両生類研究センターの林舜研究員、井川武准教授、東北医科薬科大学薬学部の阿部拓也講師、京都大学ヒト行動進化研究センターゲノム進化分野の桂有加子助教、および福井県立大学生物資源学部の風間裕介教授の研究グループは、動植物の性染色体[注1]に関する知見をまとめ、性染色体進化と性の維持機構に対する新たな見解を発表しました。「人間のY染色体は退化[注2]していて、男性機能が低下している」と議論されることがありますが、これまで性の存続は、生物が退化したY染色体上の性決定遺伝子[注3]を維持し続けることで保たれてきたとする、「性染色体進化の袋小路」仮説によって説明されてきました(図1左)。しかし、多様な生物を用いた近年の研究により、退化した古い性染色体が常染色体[注4]と入れ替わる[注5]ことで性を存続させてきたとする「性染色体サイクル」仮説が提唱されています(図1右)。この新たな仮説を理解するためには、様々な生物種の性染色体に関するデータを体系的に整理する必要があります。そこで本総説では、性染色体サイクルを主要な進化段階に分類し、各段階に位置する性染色体を持つ多様な生物の性の存続機構を整理することで、性の存続を支える性染色体サイクルの重要性を明らかにしました。
本研究成果は、2024年7月10日付で「The Journal of Biochemistry」誌に掲載されました。
図1.性染色体進化に関する2つの仮説
2.ポイント
・性染色体進化の段階によって、性染色体サイクルを「誕生」、「分化」、「退化」、「消失」、「入れ替わり」の5段階に分類した。
・性染色体サイクルの各段階に位置する性染色体を持つ生物[カエル類(入れ替わり/誕生)、ヒロハノマンテマ(分化)、ヒト・ニワトリ(退化)、アマミトゲネズミ(消失/誕生)]における性の存続機構を整理した。
・今後、実験的アプローチによって性染色体サイクルの駆動を実証することで、性の存続を支える性染色体サイクルの普遍性を検証できると提唱した。
3.研究の背景
有性生殖を行う生物では、オスとメスを安定に維持すること、すなわち性の存続が重要です。温度など、周囲の環境によって性を決定する生物も多数存在しますが、環境によって性比が偏ってしまうという問題があります。実際、温暖化によって性比が偏ってしまい、存亡の危機に瀕している生物種も存在します。一方、性染色体を用いた性決定(遺伝的性決定と呼ぶ)の場合、周囲の環境によらず性比を一定に保てることから、これは性の存続のために理にかなった方法といえます。
しかし、性染色体が辿る進化の道筋を考えると、実は話はそう単純ではありません。通常、性染色体は常染色体が性決定遺伝子を獲得することで誕生します。例えば、ヒトを含む哺乳類では、オス化遺伝子であるSryと呼ばれる遺伝子を獲得した常染色体がY染色体になりました。すると、オスになるために必要な遺伝子はY染色体に存在していた方が好都合となります。そうすれば、Y染色体を持つと必ずオスになるからです。つまり、これらの遺伝子はX染色体に移動せずにY染色体に存在し続けた方が性決定を安定化できることになります。そのため、多くの生物においてX染色体とY染色体は組換え[注6]をしません。
ところが、組換えは有害な変異を除去する上でとても大切なメカニズムなので、組換えをしなくなったY染色体は退化し、多くの遺伝子が失われていくことになります。実際、ヒトのY染色体には、常染色体だったころに存在していた遺伝子のわずか3%しか残っていません。そのため、性染色体を用いて性決定を行う生物は、残されたごく少数の性決定遺伝子や妊性に関わる遺伝子を用いて、どうにか性を存続させていると考えられてきました。これを、性染色体は進化の行き止まりであると捉えて、「性染色体進化の袋小路」仮説と呼びます。これまで、この仮説が性染色体進化の普遍的プロセスとして広く受け入れられてきました。
ただし、この仮説では、早晩多くの生物は性の存続危機に陥ることになります。つまり、性決定を安定化する上でメリットがあるはずの性染色体の獲得によって、逆に生物は種の存続危機に瀕しているともいえます。一方で、近年の解析技術の発展により、この矛盾を打破する新たな性染色体進化のモデルが提唱されました。それが「性染色体サイクル」仮説です。様々な生物種のゲノム配列が決定された結果、近縁種あるいは同種内でも異なる性染色体を持つことが明らかになってきました。つまり、生物は退化した性染色体を新たな性染色体に入れ替えることで性を存続させてきた可能性があるのです。しかし、この仮説の理解と検証はまだまだ不十分な状態でした。「性染色体サイクル」を「性染色体進化の袋小路」に替わる普遍的な性染色体進化機構であるとするには、より幅広い生物種における性染色体進化の研究データと最新の知見を統合し、包括的な視点で本仮説を議論することが求められていました。
4.研究の詳細
研究グループは、性染色体サイクルを進化段階によって5段階に分類し、各段階における性の存続機構をまとめました。そして、① 誕生: 性決定遺伝子の出現、② 分化: 組換え抑制[注7]の確立、③ 退化: Y染色体の遺伝子の大量消失、④ 消失: Y染色体の消失、⑤ 入れ替わり: 性染色体の入れ替わりの各段階にあるユニークな性染色体を持つ生物種に焦点を当て、性決定機構を詳細に分析しました。また、過去の性染色体研究をまとめ、多様な生物における性染色体の誕生過程、性染色体が誕生してからの時間、性染色体の退化程度などの情報を集約して体系的にまとめました。
その結果、性染色体サイクルの各段階に位置する性染色体は必ずしも進化の袋小路に入り込んでいるわけではないことが明らかになり、サイクルのどの段階においても性染色体の入れ替わりが生じる可能性を示すことができました(図2)。このことは、性染色体サイクル仮説が進化の袋小路仮説に代わる普遍的な性の存続機構であることを示唆します。
図2.本総説にてまとめた性染色体サイクル
5.研究の意義と波及効果
本総説は、性染色体進化に関する従来の知見から最新の知見までを体系的にまとめており、性染色体の多様性と性染色体サイクルについての現状を理解することに役立ちます。しかし、我々が理解する性染色体サイクルは、まだまだ限られた生物種の情報に基づいており、依然として完全な理解には程遠いものです。そのため、本総説では、性染色体進化における未解明な点や課題も提示しました。今後これらの課題に取り組み、特に実験的に性染色体サイクルを駆動させることで、「性染色体サイクル」が支える性の存続機構の解明につながることが期待されます。
6.論文情報
<タイトル>
Sex chromosome cycle as a mechanism of stable sex determination
<著者名>
Shun Hayashi, Takuya Abe, Takeshi Igawa, Yukako Katsura, Yusuke Kazama, Masafumi Nozawa
<雑誌名>
The Journal of Biochemistry
<DOI>
7. 補足説明
[注1] 性染色体
常染色体上に性決定遺伝子が現れることで生まれた染色体のこと。哺乳類などではXとYの2種類の性染色体が存在し、X染色体を2本持つとメス、X染色体とY染色体を1本ずつ持つとオスになる。鳥類や鱗翅目昆虫などではZとWという2種類の性染色体が存在し、Z染色体を2本持つとオス、Z染色体とW染色体を1本ずつ持つとメスになる。
[注2] 性染色体の退化
性染色体が進化の過程で遺伝子を失っていく現象。転移因子と呼ばれる繰り返し配列の蓄積も退化の特徴のひとつである。Y染色体やW染色体に特に顕著な現象である。
[注3] 性決定遺伝子
オスあるいはメスを決定する遺伝子。ヒトではオス化を司る性決定遺伝子SryがY染色体上に存在し、未分化の生殖巣を精巣形成に導く。性決定カスケードの最上位に位置する遺伝子である。
[注4] 常染色体
いわゆる通常の染色体のこと。例えば、ヒトでは1番染色体から22番染色体までが常染色体であり、父親と母親からそれぞれの染色体を1本ずつ受け継ぐ(つまり22対の常染色体で計44本)。これに性染色体(XXまたはXY)を加えた合計46本の染色体がヒトの体細胞には存在する。
[注5] 性染色体の入れ替わり
新しい性染色体が出現し、それまでの性染色体が常染色体に戻る現象。ヒトやニワトリでは1億年以上同じ性染色体が用いられているが、魚類や両生類では頻繁に入れ替わりが生じている。
[注6] 組換え
精子や卵子を形成する過程で、2本ある染色体の遺伝情報を交換することを組換えと呼ぶ。遺伝子に有害な変異が生じた場合、通常、2本ある染色体同士で交換することによって、正常な遺伝子を子孫に残すことができる。イギリスの著名な進化生物学者メイナード・スミスの例えによれば、別々のパーツの壊れた2台の車がある場合、それらを交換し合うことで1台の動く車と1台の壊れた車を作ることができる。そうすれば、壊れた車を排除し、動く車だけを子孫に残すことができる。これがすなわち自然淘汰(自然選択)である。
[注7] 組換え抑制
多くの生物の性染色体では組換えが抑制されている。組換え抑制により、性染色体、特にY染色体は常染色体とは異なる進化経路をたどり、性決定遺伝子以外の多くの遺伝子を失い退化していく。
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