PR WIRE 25周年 特別インタビュー

大和ハウス工業株式会社

広報とは、信頼を守る仕事。

大和ハウス工業・松田英次氏に聞く、PR WIREと歩んだ22年

大和ハウス工業株式会社 「広報とは、信頼を守る仕事。」

特別インタビュー

プレスリリースに添える写真が、まだ「紙焼き」だった時代がある。モノクロで焼いた写真の裏に剥がせる糊を付け、資料に貼って記者クラブへ届ける。当時は、もし大阪の本社で作成し、東京で投函する決算発表資料に誤植が見つかれば――経理部門が新幹線に飛び乗り、東京で差し替えた。

いまの広報部で「あたりまえ」とされる手段の多くは、四半世紀前には存在していなかった。

大和ハウス工業が、日本で最初のプレスリリース配信サービス「PR WIRE(共同通信PRワイヤー、2001年9月3日開始)」に入会したのは2004年6月。サービスが生まれてまだ3年目のことだ。共同通信PRワイヤー社内に保管されている当時の入会申込書には、若き日の松田英次氏――現在の広報企画部長――の手書きの文字が残っている。

以来22年。紙やFAXから、メール、Webへ。いまは生成AIが制作工程にも入りつつある。情報の届け方が何度も塗り替わるあいだ、大和ハウスの広報は何を変え、何を変えなかったのか。広報歴31年目。大阪で17年、東京で14年目を歩む当事者に聞いた。

CHAPTER 01

紙焼きと新幹線配信サービス以前の広報

――1996年に広報のお仕事を始められた頃、リリースはどうやって届けていたのですか。

松田英次(以下、松田):写真は紙焼きです。モノクロで焼いて、後ろに剥がせる糊を付けて資料に貼る。記者の方はそれを剥がして使われるんです。東京発表分は東京で、地方発表分は現地で刷ってもらう。写真だけを別送し、貼り込んでもらいました。そういう、紙だけの世界でした。

――間違いが見つかったときは。

松田:あってはならないんですが、決算資料に寸前で誤植が見つかったことがありましてね。そういうときは経理部門が新幹線に飛び乗って、東京で訂正版に差し替えるんです。いまならメールで訂正版を1通送れば済みますが、それができない時代でした。


誤植が見つかれば、経理部門が新幹線に飛び乗って、東京で差し替える。

発表の場も、足で作っていた。当時の大和ハウスも地方都市でのタワーマンション開発が多く、松田氏は担当部門とともに現地へ飛んだ。

松田:札幌なら、時計台の近くの経済記者クラブまでご挨拶に行くんです。『こういう案件があるので記者発表をしたい。ここのルールはどうなっていますか』と。幹事社にお話しして、資料を投函して、ご案内して。記者クラブごとに流儀が少しずつ違うんですね。

現地に行けば、記者と直接やり取りができ、報道にもつながった。ただし、それは「行けた場所」の話だ。住宅・建築の枠を越える事業になると、持ち込む先の記者クラブそのものが変わる。すべてに足を運ぶことは、できない。

CHAPTER 02

2004年、一枚の申込書「首都圏で、うちは知名度が低かった」

転機は、創業50周年(2005年)を前にした変革期に訪れる。

松田:50周年を機にいろいろな変革をしようと、各種アンケートを取ったんです。そうしたら、地域別に見ると、首都圏での知名度が低かった。これをなんとかしなければ、と。いまの名刺にもあるグループシンボル『エンドレスハート』も、ユニークなテレビCMも、あの時期に生まれたものです。

ブランドの変革と並走して、広報も情報発信の強化を模索した。複数の配信サービスを検討していたそのとき、訪ねてきたのが、日頃から付き合いのあった共同通信のグループ会社の担当者だった。

松田:山田さんが熱心にご紹介くださったんです。『実はこういうこともやっているんですよ』と。比較検討の結果はすぐに出ました。普段からメディアに情報発信されている共同通信さんなら信用力が違うだろうと思いました。他社のサービスはまだよく分からない部分もありましたが、共同通信さんなら、と。

2004年6月24日付のPR Wireサービス入会申込書。申込責任者は広報室長 中尾剛文氏。
2004年6月24日付の入会申込書。申込責任者の欄には当時の広報室長・中尾剛文氏(現・常務執行役員 総務・広報担当)の名前があり、書面に記入したのは大阪の広報担当だった松田氏自身だ。
※ 印影・連絡先・第三者の氏名は伏せています。


懐かしい。僕の字です。

CHAPTER 03

変わったもの、変わらないもの効率化していい仕事と、してはいけない仕事

――この25年、メディア環境は激変しました。

松田:ミクシィがあって、ニコニコ動画、X(ツイッター)、Facebook、いまはInstagramにTikTok。年を追うごとに新しい発信ツールが出てきて、どこに照準を合わせるべきか、正直よく分からない部分もあります。

企業として責任ある情報を発信しても、その媒体やツールがいつまで情報発信のメインであり続けるか分からない。サービス終了がはっきりしていれば、対応のしようもあります。でも、利用者が減っても残っている媒体を放っておくのは、企業の責任としてしんどいじゃないですか。

変化の速さは、報道の側も同じだ。新聞向けに書かれた記事をインターネットに出すことについては、かつて業界全体に「新聞が売れなくなるのではないか」という議論があった。それがいまでは当然のルーティンになっている――そう水を向けると、松田氏も頷いた。

松田:生成AIは、私自身はまだ使いこなせていないと正直に言いますが、社内でも変わってきており、いまはドンドン活用しつつある。変わるときは、あっという間ですよね。

では、変わらないものは何か。松田氏の答えは明快だった。

松田:訓練された記者が一次情報にあたって、現場へ行き、人の話を聞いて記事にする。それがデスクや校閲というフィルターを通って出てくる。ああいう記事は、いまも他のところにできることじゃないと思うんです。SNSに流れる情報は真偽不明なものも多い。だからこそ、その価値は変わらない。

取材に応じる松田英次氏。大和ハウス工業 東京本社の会議室にて
取材は2026年7月21日、大和ハウス工業 東京本社にて。

そして、広報の側にも「効率化してはいけない場所」があるという。松田氏は、リリースが世に出るまでの工程を二つに分けて説明した。

松田:例えば当社が開発する土地があるとしたら、広報のスタッフはそこに行く。現場を見る、雰囲気を感じる。担当部門の人の話を聞き、その人の熱量を感じながら、それをリリースにする。そのうえで、生成AIを活用して制作効率を上げて、御社のサービスを使って広く届ける。

この後半――届けるほうは、どんどん変わっていっていい。でも前半、現場へ行って人の話を聞くところまで効率化しすぎると、読んでいただく記者の方に伝わらないと思うんですね。そこは大切にしてほしいなと思います。


その人の熱量を感じながら、それをリリースにする。

CHAPTER 04

広報とは、信頼を守る仕事

――松田さんにとって、広報とはどんな仕事ですか。

松田:信頼を守ることだと思っています。

その考え方は、広告と広報の線引きにも表れている。

松田:対価を払って載せていただくのが広告。興味を持っていただくために働きかけるのが広報。当社はそこを明確に分けています。広告を出しているからと気兼ねされるような関係は、むしろ良くない。リスクに関わる情報でも、きちんと指摘していただける。そのほうが正常だと思うんです。

これから広報を担う世代に、二つの助言を贈った。

松田:一つは、現場で情報を取ること。もう一つは、できるだけメディアの方にお会いして、会社の『人となり』を普段からご理解いただくことです。新製品や事業のニュースを見ていただくためだけじゃない。何かあったときにも、『まずあの人に話を聞こう、事実を確かめよう』と思っていただける土台を、日頃から作っておく。それは人を通してしか、できないことですから。


広報とは、信頼を守ること。

大和ハウス工業 広報企画部長 松田 英次

四半世紀前、紙焼き写真に糊を付け、資料に貼って記者クラブへ運んでいた広報部門は、生成AIの活用が進むいまも、現場に足を運び続けている。2004年の入会から22年。手段が変わり続けても、変わらない軸があった。――信頼を守る。

FACT
会社名
大和ハウス工業株式会社
語り手
松田 英次 氏(広報企画部長/1991年入社・広報歴31年目・大阪17年→東京14年目)
導入決裁
中尾 剛文 氏(2004年当時 広報室長/現・常務執行役員 総務・広報担当)
※申込書は松田氏の自筆
PR WIRE利用開始
2004年6月(入会申込書:平成16年6月24日付)
利用年数
22年(継続中)
東京広報体制
2013年 2〜3名 → 現在 8名(東西で24名)

インタビュー:2026年7月21日・大和ハウス工業 東京本社にて/聞き手:金光 成珠(共同通信PRワイヤー)/写真:東京本社の受付ロゴ前および応接室にて撮影

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