PR WIRE 25周年 特別インタビュー

構想を、事業に。
「世界標準のワイヤーサービス」を日本で形にした二人の挑戦

共同通信PRワイヤーの創業に携わった大鹿伸生氏と芝根秀和氏が語る、25年前の苦労と想い

構想を、事業に。「世界標準のワイヤーサービス」を日本で形にした二人の挑戦

特別インタビュー

共同通信社と電通PRが手を取り合い、日本で初めて世界標準のプレスリリース配信サービス「共同通信PRワイヤー」を立ち上げ、2026年9月にサービス開始から25周年を迎えました。

紙のプレスリリースを郵送していた時代に、電子的なプレスリリース配信という新たな仕組みをつくる壮大なプロジェクト。その始動は決して簡単なものではありませんでした。一度は事業化が見送られたものの、それでも構想を諦めることなく、実現に向けて試行錯誤を重ね、一つひとつ地道に事業のかたちをつくっていった創業メンバーの歩みがそこにはありました。

今回は、共同通信PRワイヤーの創業にそれぞれの立場から携わった大鹿さん、芝根さんに対談をお願いし、25年前の苦労や想いをおうかがいしました。

CHAPTER 01

海外勤務で感じた日本の情報流通の問題意識

――大鹿さんがKK共同へ出向されていた当時、どのような業務に携わっていたのでしょうか。

大鹿:私が当時メインで関わっていたのは、ジャパンビジネス広報センター(JBN)の業務です。JBNでは海外から日本へ、日本から海外へと、双方向でプレスリリースを配信していたのですが、どうしても海外から日本への配信に偏りがちでした。そこで私は日本企業による海外向けプレスリリース配信を増やそうと営業していました。

芝根:当時、大鹿さんの担当されていたJBNの主たる業務は、海外からプレスリリースを受け取って、それを日本語に翻訳して国内の新聞社などに届けるというもの。しかも、当時は全部ファックスで、専用のファクス回線に流す仕組みでしたね。まだ今のような環境ではなかった。

大鹿:日本企業は国内向けのプレスリリースを記者クラブに投げ込んだり、郵送したりして発表していましたが、海外に直接送ることはあまりやっていなかったので、JBNの提携先であるAsiaNetやPR Newswire(PRN)から、もっと日本企業発のプレスリリースを出してほしいと言われていました。

そこで、大手企業に対して海外向けのプレスリリースを配信しましょうという営業に力を入れ始めました。

官公庁や金融機関を訪ねたり、企業へ飛び込みで営業したりと、海外向けのプレスリリースを出してもらおうとあちこち回りました。

そこで分かったのは、「日本の企業の海外広報というのは、東京、アメリカ、ヨーロッパなど、地域ごとの海外現地法人に任せていたり、現地のPR会社に頼んでいる」ということ。大手企業はまさにそうだった。金融機関や官公庁などを回っても、「報道機関の方から情報を取りに来るので、その時に渡せばよいのではないか。あえてこちらから積極的に発信しなくてもよいのではないか」と。そういう時代でした。

芝根:PRNやAsiaNet側からは、海外でも名の知れた日本企業にプレスリリースを出してもらいたいという要望があったんですよね。

大鹿:そうです。彼らも、日本から発信されるプレスリリースを待っていた。JBNとしても、海外のワイヤーサービスに対して、「日本のこういう企業からプレスリリースが出ている」と示せることが重要でした。だから企業や官公庁に対して根回しや営業を相当やりました。大変だったけど、面白かったね。記者時代には経験できなかったことでした。

――大鹿さんは記者時代、外信部で海外勤務も長かったそうですが、当時海外でワイヤーサービスはどの程度利用されていたのでしょうか。

大鹿:私がロンドン支局にいた頃も、紙のプレスリリースは毎日山のように送られてきていました。とても見ていられない。読まないまま捨ててしまうリリースがたくさんありました。

支局では地元通信社の英PAなどワイヤー経由で送られてくる記事などをチェックし、必要に応じて直接取材をしていました。ネット環境はありませんので、ワイヤーは有線でした。為替の円相場などは邦銀のロンドン支店ディーラー責任者に直接電話で取材し、速報を打っていました。当時、英主要メディアはPA子会社のUSBや米PRNなどプレスリリース専門通信社からのプレスリリースを受信していました。

海外では日本のようにプレスクラブ制度が発達していないため、まずプレスリリース専門通信社に流し、詳細は紙でオートバイ便も含めて速達で送るというシステムが確立していました。

芝根:当時、大鹿さんからうかがった話で目から鱗だったのは、「ワイヤーに流さなければディスクローズしたことにならない」ということ。いずれ近いうちに日本にもそういう時代が来るだろうと思いました。インターネットも普及し、記者もパソコンや電子メールを使うのが当たり前になってきているし。

大鹿:あとね、その頃、日本企業をめぐって重大な問題が起きていました。テレビのニュースでは企業の責任者がズラッと並んで不祥事の謝罪会見。一斉に頭を下げる映像。それを海外通信社を含め海外メディアも一斉に報道していたけど、「事件」として報道しているわけです。その時、海外通信社の知り合いに言われたんですよ。

「なぜ日本企業は、自分で自分のことを言わないんだ」と。

出てくる情報はみんなセカンドハンド(二次情報)なんです。「海外通信社が伝えた」「共同通信が伝えた」ということばかりで、日本企業自身が何を考えて、どうしようとしているのかが出てこない。海外メディアの記事には、日本企業側のダイレクトクォート(引用)はほとんどない。海外通信社などが拾った短いコメントが出る程度。

芝根:プレスリリースの最も基本的な役割は、メディアを含めたステークホルダーに対する情報の開示、ディスクロージャーですよね。自分で直接発信していく。発信を積み重ねていく。そうした地道な積み重ねがあってこそ、信頼される企業としてのレピュテーションが形成されていく。


なぜ日本企業は、
自分で自分のことを言わないんだ。

CHAPTER 02

新しい情報流通をつくる
――KK共同と電通PR、二人の挑戦

――日本での情報発信の問題意識があった中、1997~98年頃、大鹿さんと芝根さんは、どのようにして出会ったのでしょうか。

芝根:当時電通PRでは、既存のクライアント業務だけではなく、デジタルPR分野の商品やサービスの開発を検討していました。いくつか事業化を検討する中の一つに、プレスリリース配信を専門に行うサービスの事業化がありました。

ニュース配信サービスの話をしている中で、プレスリリース配信の話になって。それで大鹿さんを紹介していただいてお会いして、という流れでした。

大鹿:もちろんKK共同と電通PRは、パブリシティなどで接点はありましたが、「プレスリリース配信サービスだけをビジネスとして事業化したいと思っている」という話を聞いたのは初めてでした。

KK共同としては、JBN事業を単独でやっていくことの限界を、特に営業面で感じていたので、新しい情報流通を模索するということで、一緒に検討できればという思いでした。

――様々なつながりを経て、1997年、KK共同と電通PRとの「国内プレスリリース配信サービス」プロジェクトが始動するのですね。

大鹿:国内プレスリリース配信の件で電通PRを訪問したのは、1997年の12月でしたね。翌年から合同の研究会を開始しました。

芝根:最初の事業計画書がまとまったのは、割と早かったです。半年くらいで収支計画など詳細まで落とし込んだものができました。研究会レベルですが、両社合意のもとにまとまりました。

――ところが、電通PR内では、当初は受け入れられなかったとお聞きしました。

芝根:そうなんです。電通PRの中では、一度この話は否決されました。役員会に上げたら「時期尚早だ」と。

それでもう一度社内で根回しをするために、まずKK共同のJBNと、「海外配信の代理店契約を締結する」という形にして仕切り直しました。海外へプレスリリースを配信するというところだけを先に進めたんです。

当時は社内に「ワイヤーサービス」というものへの理解が全くなかった。プレスリリースは郵送。「宛名は毛筆で書いた方がいい」という時代で、そういう作業をする部隊が社内にあったんです。

大鹿:結構な人数がいたんでしょう。

芝根:はい。当時は印刷、宛名書き、封入、発送という一連の業務をする専門部署がありました。配送先リストも専門で管理する人がいて、注文が来ると「はい、このリスト」という形で出してくる。かなりクローズドな運用だったんです。

その後私がシステム部門に異動し、社内システムを作り、全員がメディアリストを閲覧・検索できるような形にしました。

ただ、相変わらずプレスリリースの配信業務は旧態依然のまま。そういう中でワイヤーサービスの話をしても、全く通じない。

そこで、「海外ではワイヤーサービスが当たり前、直接日本から送ることができるんですよ」ということを社内に広めていって、少しずつ共通認識を作っていったという感じです。社外にも営業同行して説明しました。

大鹿:なかなかハードルは高かったよね。

芝根:当時のプレスリリース配信というのは、基本的に郵送と記者クラブへの投げ込みでしたから。

加えて電通PRが直接メディアへ届ける「配送便」というものもありました。

例えば朝に記者発表会をやると、その日のうちに各社へ届ける。新聞だけでなく、雑誌なども含めて主要なところをカバーしていました。配送会社のようなところと提携して届けていた。

だからワイヤーサービスになれば、そういう仕事がなくなるという抵抗感もあったと思います。

CHAPTER 03

記者から事業へ
――一件一件、顧客と向き合う

――社内根回しは大変でしたね。

芝根:「共同通信側は本気なんです。我々も本気で取り組まなければ」という理屈で社内を説得して回りました。

大鹿:私も海外配信だけでなく、国内のディストリビューションも再構築するしかないと思っていました。

ただ共同通信というのは、武士の商法というか、基本は記者なので営業経験がない。「それで、どうなの?」と聞く側だからね。

だから最初は「お願いします」といって頭を下げることが身につかないんですよ。

芝根:記者の仕事とは全然違いますもんね。

大鹿:そう。それで「お願いします」と言い始めて、自分自身でも「なるほど、ビジネスというのはこういうことなんだ」と理解していったんです。恥ずかしながら。

芝根:私は大鹿さんから、海外支局当時の話を聞くのがとても楽しかった。まったく知らない世界だったので。何度かお酒を飲んで、新人記者当時の武勇伝を聞いたり、ベイルート時代の危険を伴う取材の話を聞いたり。そういうお付き合いの中で、一緒にビジネスを立ち上げたい、という思いが強くなっていきましたね。

大鹿:結局、仕事というのは人と付き合うことなんです。

ロンドン時代は、英国の関係機関の役人とか、そういう人たちと付き合っていました。当時、政府の報道官が外国人記者を集めて定期的にブリーフィングをやっていて、私は毎回必ず顔を出していました。そして、毎回必ず質問する。その場で分からなければ「来週教えてやる」と言って調べてくれる。そういう形で付き合っていました。確認が必要な時など、本当に助かりました。

芝根:人間同士の信頼関係。同感です。私の仕事の場合は、クライアントとの信頼関係、協力会社との信頼関係、社内の人間関係。信じて依頼される。信じて依頼する。そういう関係がいい仕事につながっていくんですね。社内の人間関係が一番難しいかも(笑)。

――今までにない新しいサービス。事業開始当初は、顧客の開拓も苦労されたかと思います。

大鹿:2001年9月のサービス開始からしばらくは、当時の営業部隊は苦労していましたね。世の中にこういうサービスがあること自体、知られていないので。しばらくして、1週間に1社契約というペースになり、1年2年経つと、どんどん引き合いが増えていきました。

――大鹿さんも、営業に行かれたんですね。

大鹿:私は記者だったから「共同通信です」と言えば、大抵の人には会えます。でも「PR会社です」と言ったら、そうはいかない。

そういう意味で、共同通信の名前は大きかった。

苦労と言えるかどうかわかりませんが、ある官庁で、局長や課長クラスの方々に、「ワイヤーを使ってプレスリリースを出しませんか」と説明したことがあります。当時は、報道機関が情報を取りに来る中で、あえて自らワイヤーを使って発信する必要性がなかなか理解されにくい時代でした。そこで「アメリカではワイヤーサービスを通じた情報発信が広く利用されている。日本でもそういう存在になりたい」という話をしましたが、まだ実績のないサービスですから、すぐに受け入れてもらえるものではありませんでした。新しい仕組みを理解してもらうためには、まず「我々がスタンダードだ」と言えるだけの実績をつくる必要がある。この時にそれを学びましたね。

――営業が軌道に乗るまでは大変でしたね。

芝根:プレスリリースの配信先は、しっかり確保できていたんです。そこは通信社の強みですね。あとは、プレスリリースを流すだけ。ところが事業のスタート時点では、流してくれる企業がない。営業部隊は苦労していました。

プレスリリースの電子的配信サービスという市場自体がなかったので、市場創造から始めなければならなかった。今では「プレスリリース配信サービス」と言えば、それだけで「なるほど」と理解してもらえますが、当時は「何ですか、それ?」ですからね。

大鹿:ただね、ビジネスというのは、アーキテクチャがしっかりしていれば、時間はかかっても必ず成功する。普及して、事業を継続できるものです。だから25年続いているし、まだまだ伸びる可能性はある。最初の設計は間違っていなかったと思います。


アーキテクチャがしっかりしていれば、
時間はかかっても必ず成功する。

CHAPTER 04

「プレスリリースは記事ではない」
――PRワイヤーに受け継がれたDNA

――続いてサービス設計について聞かせてください。創業当時から今も続いている仕組みに「会員制」があります。入会時に審査をするため、PRワイヤーとしての信頼性を常に担保できています。会員制を導入した理由について教えてください。

大鹿:会員制を導入したのは、万が一そのルールを破って偽情報や公序良俗に反するようなプレスリリースを出した場合には、必要に応じて利用を停止できるようにするということ。アメリカでは、ワイヤーサービスの利用ルールに反した企業との取引を停止し、そのことが他のワイヤー会社やPR会社との取引にも影響することがある。それくらい、発信者にも責任を求める考え方が徹底されていたんです。そういう意味では、欧米は厳しいですよ。この考え方は、創業時にずいぶん話し合いました。原則は忘れないでほしいですね。

――その原則が、今も変わらない「信頼」につながっている。

大鹿:まさにそうです。

原則についてもう一つ。プレスリリースというのは、記者が書く記事ではない。記事だったら、間違っていたとかトラブルの際には共同通信なりメディア側が受けて立つわけです。メディア側の責任ですから。

でもプレスリリースは記事ではなく、企業が自分たちの意思で、ワイヤーサービスのような道具を使って、自分たちで発信するものです。

だから発信内容について、ワイヤー側は責任を負えないんです。内容そのものを編集しない。それが原則です。

PRワイヤーの前、JBN時代のことですが、そのことで失敗談があります。海外企業からAsiaNet経由で届いたプレスリリースを見て、我々は記事を書いてきた人間ですから、「ここはこう変えた方が分かりやすい」と思うわけです。つい直したくなる。それで良かれと思って手を入れてしまったところ、「我々が出したものと違う」と指摘を受けました。

――今お聞きしても冷や汗が出るようなエピソードです。

大鹿:日本語に翻訳する際に間違えたのであれば全面的に謝ります。翻訳間違いは我々の責任です。ところがその時は原文そのものを手直ししてしまった。

AsiaNet経由で事情を調べたら、その海外企業には日本人がいて文章を書いていた。担当者からすれば、自分が書いたものを勝手にいじられたら「これは違う」と言うのは当然ですよね。

だから海外のワイヤーサービスもそうだけど、国内でも、顧客が自分で情報を入れられるようなシステムになっている。自分で入力するんです。こちらは、配信システムという道具と配信先リストを提供する。「問い合わせ先は当該企業になりますので、必ず記載してください」と。そういう仕組みなんです。

――海外配信の翻訳についてですが、やはり「共同通信グループが翻訳する」ということは信頼性につながりますね。

大鹿:「AsiaNet」経由のプレスリリースにも基本的には各国の通信社名が入っています。共同通信だったら共同通信のレベルで翻訳しているから大丈夫だという信用がある。だからそのレベルを保つ。そういう伝統的な通信社が、オブリゲーションを負っているということです。

AsiaNetの場合は、各国の通信社が翻訳を担うという仕組みそのものが、一つの信頼につながっている。「共同通信」というブランドの信頼性も、その大切なベースなんです。

芝根:海外配信の場合、発信者側は英文リリースを出して、現地の通信社が現地語に翻訳して流す。現地語翻訳は、各通信社が責任を持つという仕組みですね。

――「共同通信」という「信頼の看板」とでも言いましょうか。

大鹿:看板と言えば、ある大手企業の広報部長から聞いた話を思い出します。ある新聞社に情報を出して記事になれば、他の新聞社にそれを見てくださいとは口が裂けても言えない。

記事にならなかったとしても、「共同通信PRワイヤーを通じてリリースを出していますから見てください」とは言える。共同通信PRワイヤーを通じて全国の新聞社に情報を届けられることにも意味がある。だから「プレスリリースも共同通信の名前があれば出しやすい」と。

KK共同と電通PRが組んでやる意味は、そこにもあったんですね。情報を広く届ける仕組みだけでなく、信頼につながる「看板」も必要だったんです。

芝根:そうなんです。電通PR単独では成立しないビジネスでした。その代わり、電通PR側からは企業広報についてのノウハウや知見を提供していく。

――「問い合わせ先を明確にする」というルールも当時からのものです。今でもお客様には、担当者名や電話番号などの連絡先を入れてくださいとお願いしています。

大鹿:国内の場合は問題にならないけれど、海外配信の場合、お客様から「社内に英語で対応できる人がいない」という理由で問い合わせ先を入れたくないと言われることがあった。そういう発想だった。それが、海外配信が普及しない大きな理由の一つでもあった。

――今でも時々、海外配信を利用するお客様から「英語を話せる者がいないのですが、電話番号は必要ですか」と聞かれます。

芝根:記者と英語で直接やり取りできる窓口がある企業は、それほど多くないですよね。でも今はメールやテキストでやり取りできますし、AI翻訳も使える。電話を使わないケースもかなり増えていますね。

大鹿:そういうやり方をお伝えしていくことも大事ですね。問い合わせ対応を代行する仕組みを作ってもいいんじゃないかな。きちんとサービスとして提供して、対価をいただく。

――サービスとして責任を持って提供するということですね。

大鹿:そう。対価をいただく以上、こちらにも責任が生まれる。お客様にとって必要なものを、きちんとサービスとして提供することが大事。

CHAPTER 05

25年の積み重ねが「信頼」になる

――少し視点を変えて、お二人が出会った時のお互いの印象を教えてください。最初に出会った時から一緒に仕事をしていく中で感じたことなどはありましたか。

芝根:僕は最初から大鹿さんの話を聞くたびに「侍だな」という印象がありました。理屈ではなく、大鹿さんを裏切るようなことは絶対にできない、と思っていました。

大鹿:大変なことに巻き込んでしまいましたね(笑)。

芝根:実は大鹿さんの存在をうまく利用させてもらった面もあるんです。大鹿さんの名前を出しながら「共同通信は本気でやっているんだから、我々も本気でやらなきゃダメだ」という感じで社内を説得していきました。

あと、大鹿さんに社内の講演会や説明会をお願いしたこともありましたね。30人くらい集まって、皆さん熱心に聞いていました。ワイヤーサービスをやるという機運が少しずつ醸成されてきました。

大鹿:「一緒にやりましょう」というのは、電通PRさんの方からの提案だったね。

そちらからの提案で、本格的な相互検討に入る前に守秘義務について契約を締結しましょうということになりましたよね。これで「本気になったな」とわかりました。

対談する大鹿伸生氏と芝根秀和氏
出会った当時のお互いの印象を語り合う、大鹿伸生氏と芝根秀和氏。

――芝根さんはその後、電通PRを退職し独立されましたが、退職後もPRワイヤーに長く関わっていただいていますよね。

芝根:退職後も設立やサービス設計に関わらせていただきましたが、いったん電通PRとの契約は終了しました。ですが、「会社ができたから、あとは放っておいても大丈夫」なんて、そんなわけないじゃないですか。大鹿さんと相談して、PRワイヤーに引き続き関わらせていただくことになりました。

――すごい情熱、パッションです。それが今も続く「信頼性」のベースになっているんだと感じます。

大鹿:結局、「諦めない」ということなんだろうね。

ただ諦めないというより、どうやったら顧客を最後まで責任をもって見られるか。そして、きちんとお金をいただく。

――そこは一貫していますね(笑)。

大鹿:顧客を助けようと思えば、じゃあどういう方法があるのか。どうすれば彼らに満足してもらえるのか。そういうことを考える。

クライアントに直接話を聞くんです。すると意外と答えが返ってくる。「何をしてもらいたいのか」ということは、現場にいないと分からない。それを聞きながら探していく。信頼関係はもうできているんだから。その信頼の上で、何を提供していけるか。いろいろ試してみればいいんじゃないかな。そうやって一つひとつ積み重ねていくことが、事業を続けていくことにつながるんだと思います。

CHAPTER 06

AI時代、次の25年へ

――お二人のお話から、今も続いている「信頼の構築」が当時から軸になっていると感じました。25年経ったAIの時代においても、大きな強みになっている。その情熱を引き継いでいきたいです。

大鹿:共同通信PRワイヤーを通してプレスリリースを配信している。それ自体が「信用」になる。これまでもそうだったし、これからもそうありたいね。地道にやっていきましょう。最後は、信頼されるところがお客様に支持されて、生き残っていきます。

芝根:SNSやAIの時代だからこそ、一次情報の重要性が再認識されていますね。誤情報や偽情報が溢れる中で、プレスリリースという一次情報の価値は高まっていると思います。

信頼される企業から、信頼されるワイヤーで、信頼されるメディアへ、という信頼の循環を大切にしたいですね。メディアは多様化していますが、基本は同じだと思います。


信頼される企業から、
信頼されるワイヤーで、
信頼されるメディアへ。

共同通信PRワイヤー 外部アドバイザー 芝根 秀和

――25年前から続く「パッション」と「地道に積み上げていく姿勢」。そういうものが、今の「信頼性」のベースになっているんだと思います。

大鹿:情熱は持ち続けたいね。25年前も今も。

芝根:可能な限り、陰ながらPRワイヤーのお役に立っていきたいと思っています。創業当時の情熱を伝えていくのも私の役割かなと再認識しました。

ありがとうございました。

大鹿:こちらこそ、何かありましたら、いつでも声をかけてください。ありがとうございました。

――25年間で、情報の流れやそれを取り巻く環境は大きく変化しました。これからも変化は続いていくと思います。しかし、今日お二人のお話をうかがい、時代が変わっても忘れてはならない軸があることを改めて感じました。

創業時から大切にしてきた考え方を引き継ぎながら、変化には柔軟に対応し、これからもお客様やメディア、その先の生活者の皆さんにとって、より価値のあるサービスにしていかなければならないと思います。本日はありがとうございました。

FACT
語り手
大鹿 伸生 氏(元・共同通信社。外信部・ロンドン支局などで国際報道に携わった後、KK共同でJBN・AsiaNetなどを担当)
語り手
芝根 秀和 氏(元・電通PR。共同通信PRワイヤーの創業、サービス設計・システム設計に携わり、現在は外部アドバイザー)
サービス開始
2001年9月
創業時からの原則
会員制(入会時の審査/ルールに反した場合の利用停止)・プレスリリースの内容は編集しない・問い合わせ先を必ず記載する

本記事は、共同通信PRワイヤーのサービス開始25周年(2026年9月3日)を機に始めた連載「PR WIRE 25周年 特別インタビュー」の第3回です。

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