【研究成果の発表】スピン液体の近くの“隠れた秩序”

首都大学東京などの研究チームは、テルビウムチタン酸化物Tb2Ti2O7を温度-273℃(絶対温度0.1ケルビン*1)まで冷却すると、スピン液体*2という量子的な液体が凝固して電気四極子と呼ばれる電子の「軌道の形」が秩序する珍しい固体ができることを明らかにしました。

2016年5月18日

首都大学東京

スピン液体の近くの“隠れた秩序”

 首都大学東京(以下、「首都大」)、京都大学(以下、「京大」)、理化学研究所(以下、「理研」)、東京大学物性研究所(以下、「東大物性研」)、ラウエ・ランジュヴァン研究所(以下、「ILL」)、アメリカ国立標準技術研究所中性子研究センター(以下、「NCNR」)の研究チームは、テルビウムチタン酸化物Tb2Ti2O7を温度-273℃(絶対温度0.1ケルビン*1)まで冷却すると、スピン液体*2という量子的な液体が凝固して電気四極子と呼ばれる電子の「軌道の形」が秩序する珍しい固体ができることを明らかにしました。これは約20年来明らかにされてこなかったTb2Ti2O7の謎の秩序の問題を解く重要な成果であり、物質がとり得る新しい量子状態の理解につながる基礎学術上の重要な発見です。

 Tb2Ti2O7はスピン液体と呼ばれる大変珍しい量子状態を示す物質として1999年の発見以来、精力的に研究されてきました。これまでに100を超える実験と様々な理論モデルが提案されてきましたが、そのスピン液体の性質については未だ十分にわかっていませんでした。また、実験的にはいくつかの試料においてしばしばスピン整列の長距離秩序とは異なる謎の秩序が観測されており、この秩序状態は一体何なのか?そしてTb2Ti2O7は本当にスピン液体なのか?という問題が、基礎学術上の大きな研究テーマのひとつでした。

 今回研究グループは度々観測される謎の秩序の理解がTb2Ti2O7のスピン液体の性質を理解する上でも重要な知見になると考えて、長距離秩序の性質を示す純良な単結晶を作成して磁場中の比熱や磁化の測定と中性子散乱実験に取り組みました。そして驚くべきことにそれらの実験結果は、電気四極子の寄与を取り入れた量子スピンアイス模型に基づいた理論計算と一致することがわかりました。つまり、これまで謎であったTb2Ti2O7の秩序は、テルビウムイオンが持つ四極子という電子の軌道自由度の秩序化であることが明らかになりました。また、この秩序相の近くに現れるスピン液体は、量子スピンアイスというスピンアイス*3が量子力学的に重ね合わさった量子液体状態である可能性が浮き彫りとなりました。

 本成果は2016年5月18日付けでアメリカ物理学会が発行する英文誌Physical Review Letters誌に掲載されました。

1.背景

 物質の磁石としての性質は物質を構成するイオンの周りを電子が回転(スピン)すること、そしてそれらが整列することで現れます。ある種のイオンを持つ物質では電子の回転に加えて電子が回転する「軌道の形」が強く影響することがあり、このために普通とは一味違った磁石の性質が現れることがあります。電子の軌道自由度の秩序化で知られるこの現象は、スピンの整列現象である磁気秩序とは異なるため、通常の方法で検出・理解するのは難しく、「隠れた秩序」の問題として科学者の好奇心を引き付けています。

 Tb2Ti2O7(図1)は、結晶構造が幾何学的フラストレーション*4と呼ばれる特殊な性質を持つため、低温でもスピンが秩序化しない「スピン液体」と呼ばれる大変珍しい量子状態を示す物質として1999年の発見以来、精力的に研究されてきました。スピン同士の相互作用のみを考えた最も簡単な理論モデルによるとこの物質は低温でスピン整列すべきであると予想されていますが、実際にはそのような整列は観測されていないため、これに代わる様々な理論モデルが提案されてきました。一方、実験的にはスピン液体の性質を示す試料はあるものの、いくつかの試料にはスピン整列の秩序とは異なる「隠れた秩序」ともいうべき謎の秩序が度々観測されており、この秩序状態は一体何なのか?Tb2Ti2O7は本当にスピン液体なのか?という問題が、基礎学術上の大きな研究テーマのひとつでした。

 首都大理工学研究科門脇広明准教授、京大工学研究科高津浩特定講師らの研究グループは2013年に多結晶を使った研究から、Tb2Ti2O7にみられるスピン液体相と隠れた秩序相の問題はTb2+xTi2-xO7+yというようにxやyの組成がわずかに異なる効果で理解できること、そして、組成xをわずか1%以下と極微少量変化させるとスピン液体から長距離秩序を誘発でき、それが量子相転移として起きている可能性を報告していました。秩序の起源が何であるのか決定的にはわからなかったものの、組成をよくコントロールした純良な単結晶を使った実験研究と新しい視点に立った理論研究からのアプローチがTb2Ti2O7のスピン液体やその近くにあらわれる謎の秩序を理解する上で急務でした。

2.研究手法・成果

 今回研究グループは、長距離秩序の性質を示すTb2Ti2O7の純良な単結晶を世界に先駆けて合成することに成功し、その単結晶を使って磁場中における比熱や磁化の精密な物性測定、そして中性子散乱実験に取り組みました。

図2に磁場を結晶の[111]方向に加えた時の比熱の振る舞いを示します。[111]方向はTb2Ti2O7の結晶構造の中で対称性の良い方向のひとつです。従って、その方向に磁場をかけると秩序構造を反映した特徴的な振る舞いを観測できると期待されます。実際、ゼロ磁場における比熱の鋭いピークは磁場をかけると0.3テスラ*5を超えたところで分裂する特徴的な振る舞いが観測されました。特に、高温側に現れるピークは、他の隠れた秩序の性質を示す物質と類似した磁場依存性を示すことがわかりました(図2挿入図)。また、秩序化に伴って磁化の磁場依存性や非弾性中性子散乱スペクトルにも特徴的な変化を示すことがわかりました。

 理研の小野田専任研究員らの先進的な量子スピンアイス模型を用いた理論的予言によると、低温状態のTb2Ti2O7ではTbイオンに内在する「電気四極子」と呼ばれる電子軌道の自由度が秩序相やスピン液体相の出現に重要な役割を担うことが指摘されていました。そこで、今回の実験結果を理解するために四極子の寄与を取り入れた量子スピンアイス模型に基づいて理論計算を行い調査しました。その結果、今回の様々な実験結果は、量子スピンアイスという量子液体相に非常に近いところに位置する四極子秩序相のパラメーターで説明できることがわかりました(図3, 4)。この結果はTbイオンとTiイオンの比率を1%以下の極微少量で変化させると、Tb2Ti2O7がスピン液体のものから長距離秩序のものにかわるという実験結果とも良く一致します。これまで明らかにされてこなかったTb2Ti2O7の謎の長距離秩序の問題は、純良な単結晶を得て実験ができたこと、そして新しい視点に立ってその理論的解釈ができたことにより、テルビウムイオンが持つ電気四極子の自由度の秩序化であると約20年の時を経て解明されました。

3.波及効果

 今回の研究成果は、幾何学的フラストレーションを持つ磁性体に電気四極子の自由度が絡むことを示した初めての例で、”frustrated quadrupolar system”と呼べるような新しい量子状態を研究できることがわかりました。また、秩序相の近くに現れるスピン液体は、量子スピンアイスというスピンアイスが量子力学的に重ね合わさった量子液体状態である可能性が浮き彫りになりました。本研究成果は、磁性体研究の枠組みを超えて固体物理学全体の研究に重要な視点を与えることが期待されます。また、幾何学的フラストレート格子に四極子やより高次の多極子の自由度を組み合わせるという視点をもとにして、さらに新しくて面白い物質開発への波及が期待できます。

4.今後の展望

 四極子秩序は格子のひずみと結合することが良く知られています。従って、今後は、微小な格子変形を観測すること、そして共鳴X線散乱実験のような少し特別な手法を使って直接的な方法で四極子秩序の様子を明らかにすることが重要な課題のひとつです。また、秩序相の近くにあるスピン液体の性質を非弾性中性子散乱の手法を使ってより深く調査することも重要な課題のひとつです。

5.その他

本研究は日本学術振興会による科学研究費補助金事業(KAKENHI 25400345, 26400336, 26800199, 15H01025, 16K05426)の支援を受けました。また、極低温領域での精密な比熱及び磁化測定の実験は東大物性研の共同利用のサポートを受けて行いました。中性子散乱実験の一部は東大物性研附属中性子科学研究施設のILL支援枠のサポートを受けて行いました。

 詳細は報道発表資料をご覧ください。

【書誌情報】

論文タイトル

Quadrupole Order in the Frustrated Pyrochlore Tb2+xTi2-xO7+y

著者

H. Takatsu, S. Onoda, S. Kittaka, A. Kasahara, Y. Kono, T. Sakakibara, Y. Kato, B. Fak,

J. Ollivier, J. W. Lynn, T. Taniguchi, M. Wakita, and H. Kadowaki

【用語解説】

*1.ケルビン(K)

絶対温度の単位。-273.15℃がゼロケルビンに対応し、1ケルビンの温度差が 1℃の温度差と等しくなるように定義されています。

*2.スピン液体

 低温でスピンが量子学的にゆらいだ状態。結晶構造の幾何学性などの影響でスピン間の相互作用にフラストレーションが働くときに実現するものと期待されています。1973年のアメリカの理論物理学者P. W. Andersonによる理論的予測に端を発し、実験・理論の両面から磁性体研究の中心テーマのひとつとして精力的に研究されています。本研究対象のTb2Ti2O7では結晶構造の幾何学的フラストレーションに加えて、どうやらテルビウムイオンが持つ電気四極子の自由度がその実現に大きな役割を果たすことが、今回の研究の結果、浮き彫りとなりました。

*3.スピンアイス

 スピンアイスは、三角格子の三次元版であるパイロクロア格子上の強磁性イジングモデルとして知られ、その基底状態は氷(アイス)と同様のフラストレーション、すなわちアイスルールによって特徴づけられます。実験的には、パイロクロア格子酸化物のR2T2O7 (R = Dy, Ho, T = Ti, Sn)がスピンアイスの性質を示す興味深い例として知られており、統計学的な理論と実験とを比較できる理想的な物質系のひとつです。

*4.幾何学的フラストレーション/幾何学的フラストレーションを持つ磁性体

 幾何学的フラストレーションを持つ磁性体は、結晶構造の幾何学的特徴のためにスピン対としての安定配置を系全体で同時に満たせない(満たしにくい)磁性体です。通常の磁性体は、例えばスピンが平行にそろった強磁性体や反平行にそろった反強磁性体が良く知られていますが、これらは系全体でスピン対が安定配置をとっています。本研究で対象としたパイロクロア格子磁性体は図1に示すように、磁性イオンで構成される四面体が点共有で3次元的に連なった構造を持ち、幾何学的フラストレーションを持つ磁性体の代表例です。

*5.テスラ(T)

 磁束密度の単位ですが、磁場の大きさを表すのにもよく使われます。例えば、地磁気の大きさは約0.00005テスラ(50マイクロテスラ)、文房具にも使われるネオジム磁石の磁束密度は大体0.1から0.5テスラ程度です。

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