時間と空間の対称性を破る粘性率による揚力の発生を理論的に予測
東京都立大学 大学院理学研究科の保阪 悠人(ほさか ゆうと)大学院生と好村 滋行(こうむら しげゆき)准教授、テルアビブ大学(イスラエル)のDavid Andelman教授らの研究グループは、カイラルなアクティブマターの流体で存在する「反対称粘性率」によって、平衡状態では存在することができない流体力学的な「揚力」が発生することを理論的に予測しました。
生体膜中の回転分子モーターや磁場下の磁性体微粒子は自発的な回転運動をしており、これらの分子や粒子の集団はカイラルなアクティブマターと呼ばれています。非平衡状態のカイラルなアクティブマターでは、時間と空間の反転に関する対称性が破れているため、平衡状態の流体では存在し得ない反対称粘性率という特異な粘性率が発生します。本研究では、二次元シート状のカイラルなアクティブ流体を考え、その流体中を運動する円盤に働く力を理論的に計算しました。その結果、反対称粘性率の存在によって、円盤の移動方向に垂直な揚力が生じることが初めて示されました。
本研究成果は2021年4月27日付(米国時間)で、アメリカ物理学会が発行する英文誌Physical Review Eに掲載されました。
1.背景
アクティブマターとは、自発的に運動する要素から構成される非平衡系の総称で、具体的には鳥や魚の集団運動や微生物の水中運動などを研究対象とします。また、より小さいスケールではタンパク質、酵素、分子モーターなどのマイクロマシンもアクティブマターに該当し、物理や化学、生物などの学際領域で盛んに研究されています。アクティブマターの中でも、構成要素自身が自発的に回転している系はカイラルなアクティブマターと呼ばれ、この系の特徴は時間と空間の反転に関する対称性が破れていることです。
近年、反対称粘性率(odd viscosity)と呼ばれる物理量が、カイラルなアクティブ流体で注目を集めています。反対称粘性率の概念は、1995年にイスラエルのAvron教授らによって、二次元の量子ホール系で存在することが理論的に予測されました。2000年以降のアクティブマターの研究の発展にともない、時間反転対称性を破るマイクロマシンを含む流体でも、反対称粘性率が存在することが指摘されています。最近の実験では、磁性体微粒子の集合体に磁場を印加すると、粒子集団の境界で一方向の流れ(エッジフロー)が生じることが報告されています。
反対称粘性率を有するアクティブな二次元流体において、流体力学的な応答に関する研究はこれまでありませんでした。その理由の一つは、通常の二次元流体の場合、いわゆるストークスのパラドックスにより、流体中の円盤に働く力と速度の間に比例関係が成り立たないからです。しかし、二次元流体に三次元流体が接触していれば、二次元流体の運動量が三次元流体に散逸するため、ストークスのパラドックスは回避されます。それでは、運動量散逸をともなう二次元流体がカイラルなアクティブ流体の場合、どのような流体力学的な応答が生じるでしょうか?
2.研究成果
本研究グループは、反対称粘性率を有するカイラルなアクティブ流体の理論的な解析を行いました。具体的には、隣接する三次元流体に運動量が散逸するアクティブな二次元流体を考え、反対称粘性率を含む流体方程式を導出しました。流体に反対称粘性率が存在することは、図1のように自転するマイクロマシンの存在によって、二次元流体の時間と空間の反転対称性が破れていることを意味しています。自転するマイクロマシンでは、時計回りもしくは反時計回りの自転の向きが決まっているため、時間と空間において特別な方向が選択されており、それぞれの反転に関する対称性が破れます。
図1:自転するマイクロマシン(緑色)を含む二次元のカイラルなアクティブ流体。マイクロマシンの存在によって、二次元流体は反対称粘性率をもつ。カイラルなアクティブ流体中の円盤(黄色)が一定速度で移動すると、通常の抵抗力とは別に、移動方向に垂直な揚力が発生する。
この流体方程式を数学的に解くことにより、二次元流体中の一点に力が働いた結果として、そこから離れた点にどのような流れが誘起されるかを調べることができます。カイラルなアクティブ流体で流体力学的応答を計算したところ、反対称粘性率がない場合には(平衡系)、図2(a)のように流れが横軸方向に対して完全に対称となります。一方、反対称粘性率が存在する場合には(非平衡系)、図2(b) のように流れが横軸方向に対して非対称になることが確かめられました。これは、反対称粘性率の存在によって、回転的な流れが生じることを示しています。また、マイクロマシンの自転方向が逆転して反対称粘性率の符号が反転すると、逆の非対称性をもつ流れが生じることもわかりました。
図2:中央の点に力が働いたときのカイラルなアクティブ流体の流れ。(a)反対称粘性率が存在しない場合、流れは横軸方向に対して完全に対称となる。(b) 反対称粘性率が存在する場合、流れは横軸方向に対して非対称となる。
次に、このアクティブな二次元流体中を一方向に運動する円盤に働く力を求めたところ、反対称粘性率の影響で抵抗力が平衡系よりも大きくなるという結果が得られました。さらに、反対称粘性率の存在によって、円盤の移動方向に垂直な揚力が生じることが初めて示されました。これは、カイラルなアクティブ流体のみで見られる新しい効果です。本研究で見つかった揚力は、回転しながら進む物体にその進行方向に垂直な力が働く「マグヌス効果」と類似しています。しかし、新しく見つかった揚力の発生起源はカイラルなアクティブ流体中の円盤にあるのではなく、反対称粘性率をもつアクティブな二次元流体に起因する点が本質的に異なります。
通常の流体では「ローレンツの相反定理」が成り立つことが知られています。これは、流体中の物体が受ける抵抗力の対称性に関する非自明な性質です。本研究では、ローレンツの相反定理を反対称粘性率が存在する場合に拡張することに成功しました。その結果、カイラルなアクティブ流体では、流体力学的な応答が非相反的になることがわかりました。非相反応答とは、方向によって応答が異なることを意味しています。今回の研究で見つかった揚力は、カイラルなアクティブ流体の非相反性に起因しており、その非平衡性が本質的な役割を果たしています。
3.波及効果と今後の展望
今後は、本研究で予測された揚力の存在を実験的に検証する必要があります。具体的に想定される実験系としては、界面活性剤分子を気液界面上に展開したラングミュア膜が考えられ、そこに回転分子モーターを導入します。非平衡状態のラングミュア膜の流れを可視化することによって、非対称な流体力学的応答を確認することができます。
また、カイラルな液晶分子からなる薄膜において、膜の上下の湿度を変化させて薄膜を貫通する水分子の流れを作り、薄膜全体を非平衡状態にすることも可能です。このような系における反対称粘性率の測定にも興味が持たれます。
近年、アクティブマターの非平衡現象を理解する上で、非相反性の概念の重要性が認識されつつあり、生体物質などのバイオマターと、固体物質などのハードマターをつなぐ懸け橋となることが期待されています。また、酵素やタンパク質などのマイクロマシンの動作原理を理解するためには、時空間対称性の破れと非相反性の発現の関係性を解明することが必要です。さらに、マイクロマシンの集団が生み出す協同的な非相反現象のメカニズムを明らかにすることによって、将来的にはアクティブマターの統一的かつ普遍的な記述が可能となるでしょう。
4.その他
本研究は文部科学省と日本学術振興会による科学研究費補助金事業(特別研究員奨励費「生体分子マシンが誘起する細胞内レオロジー応答の理論研究」19J20271、基盤研究(C)「ソフトマター中のマイクロマシンの非平衡ダイナミクス」18K03567、基盤研究(C)「Enzymes as Active Matter at Nanoscales」19K03765、新学術領域研究(研究領域提案型)「粗視化モデルで解明する生体ナノマシンの自律的な運動機構」20H05538)の助成を受けました。また、保阪 悠人大学院生は、東京都立大学の大学院生短期派遣・受入支援制度の経済支援を受けて、テルアビブ大学(イスラエル)に滞在しました。
<用語解説>
・反対称粘性率:時間と空間の反転に関する対称性がない系で予測される特異的な粘性率。通常の粘性率と異なり、反対称粘性率はエネルギーの散逸に寄与しない。
・対称性の破れ:ある系や運動に対して、時間や空間に関する変換操作を行ったときに、変換前とは異なる状況が生じること。
・ストークスのパラドックス:柱状体に一様流があたる場合の二次元的な流れに対して、ストークス方程式を用いても有意義な解が得られないこと。
・マグヌス効果:回転しながら進む物体にその進行方向に対して垂直の力、すなわち揚力が働く現象。1852年にドイツの科学者ハインリヒ・グスタフ・マグヌスが発見した。
・ローレンツの相反定理:ストークス方程式を解いて求めた流体中の物体の抵抗行列が、必ず対称な行列となる性質。
・ラングミュア膜:親水性と疎水性のバランスが適当な両親媒性分子を、水面上に展開したときに形成される単分子膜。
<書誌情報>
掲載誌:Physical Review E 103, 042610 (2021)
論文タイトル:Nonreciprocal response of a two-dimensional fluid with odd viscosity
著者:Yuto Hosaka, Shigeyuki Komura, and David Andelman
DOI:10.1103/PhysRevE.103.042610
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