PR WIRE 25周年 特別インタビュー
株式会社電通PRコンサルティング
日本の情報流通を変える挑戦。
創業から25年、つなぐ想いは「信頼の輪」
共同通信PRワイヤー創業に携わった国田智子氏に聞く、構想から実現までの4年
1990年代後半、企業に一人一台のパソコンがやっと普及し始めた頃。欧米ではプレスリリースを電子的にメディアへ届ける「ワイヤーサービス」が、企業の情報発信手段としてすでに定着していました。
「世界標準のプレスリリース配信サービスが日本にまだないなら、自分たちで実現しよう」
その構想から実現まで約4年。株式会社共同通信社と株式会社電通パブリックリレーションズ(現・株式会社電通PRコンサルティング)は新たな情報流通の仕組みを日本に根付かせるため、試行錯誤を重ねていきます。
なぜ、この事業を始めようと考え、実現まで取り組み続けることができたのか。共同通信PRワイヤー創業に携わったメンバーの一人、国田智子取締役にお話をうかがいました。
CHAPTER 01
事業構想の原点
――PRワイヤーの事業構想が生まれた1997年当時、どのようなお仕事をされていたのでしょうか。
国田智子(以下、国田):当時、私は株式会社電通パブリックリレーションズ(現・株式会社電通PRコンサルティング、以下「電通PR」)でIT事業推進を担当する部署に所属していました。一人一台のパソコンの導入から社内ネットワークの整備、電子メールやグループウェアの社内普及が最初の役割でした。
現在も使われているメディアリストのデータベースを整備したり、社内LANを構築したり、Webサイトを立ち上げたりと、PR会社としてのIT基盤づくりに携わっていました。その後は「デジタルPR」という、ITを活用したPRサービスの企画・開発に取り組みました。
――デジタルPRを企画する際に、ワイヤーサービスの事業構想はあったのでしょうか。
国田:いえ、デジタルPRの検討を進める中で、株式会社共同通信社(以下「KK共同」)の担当者を通して、欧米で普及している「ワイヤーサービス」の存在を知りました。インターネットのインフラを活用しプレスリリースを電子的に配信する仕組みが、日本以外の国では当たり前に。海外では一般的でしたが、当時の日本にはまだ、企業の情報発信インフラとして広く利用されるサービスは存在していなかったのです。
国田:電子配信になればタイムラグはなくなり、配信業務も効率化できます。メディア側も電子データをそのまま利用できるため、書き写す手間もなくなります。
配信先のメディアリストに関しては、適切な配信先が網羅されていることが重要ですが、加えてメディア側がプレスリリース受信を了承しているかどうかという受信許諾が必須条件になります。
最適なメディアリストに基づくプレスリリースの電子配信ネットワークの仕組みが欲しい。その考えは日増しに大きくなり、当然の帰結として一つの答えにたどり着きました。
そう考えたことが、PRワイヤー構想の出発点でした。
日本にまだないのであれば、自分たちで実現できないだろうか。
CHAPTER 02
共同通信との出会い、そしてプロジェクト始動
――PRワイヤーの事業構想はKK共同と電通PRとの出会いから生まれました。当初両者はどのように出会い、新事業の開発に取り組むことになったのでしょうか。
国田:もともとKK共同と電通PRは長年のお付き合いはありましたが、きっかけはKK共同が提供しているニュース配信サービスの導入でした。
ニュース配信サービスの導入がひと段落したところで、雑談の中でデジタル関連の新規サービス開発の話になりました。その時両社とも同じ「プレスリリース配信」に関する検討を進めていることがわかったのです。
しかも互いに1社だけで取り組むことに限界を感じていました。それなら、ということで、両社の有志が集まって、サービス化に向けた合同の「研究会」をやりませんか?という話になりました。
――当時はインターネットの普及期。先ほど「デジタルPR」のお話が出ましたが、プレスリリースの電子的配信もその一環で構想していたのでしょうか。
国田:はい、その頃電通PRでは「デジタルPR」の分野で新しいサービスを立ち上げられないだろうかといくつか事業化のプランを考えていました。プレスリリースの電子的配信サービスもその中の一つでした。
プレスリリースを電子的に配信する仕組みが普及すれば、自社のクライアントだけでなく、他のPR会社や、その先にいる多くの企業にも利用してもらえる可能性がある。PR会社としては企業広報の現場のことは熟知しているし、営業力もあります。しかし、特定のPR会社が事業主体になると、利用してくれる他のPR会社やクライアント企業の広がりにも限界が出てくると感じていました。
――KK共同では当時、JBNとしてプレスリリース配信を運営していましたが、そこでのつながりもきっかけの一つになったと聞きました。
国田:KK共同の「JBN」では、日本企業のプレスリリースを日本国内だけでなく海外に配信したり、逆に海外企業のプレスリリースを国内メディアに配信するサービスを行っていました。しかし事業としては苦戦していたと聞いています。というのも、JBNでは海外企業のプレスリリースを日本語に翻訳し国内メディアに届けるという業務に偏っていたようなのです。日本企業のプレスリリースを国内外のメディアに配信するサービスはなかなか軌道に乗らないとのことでした。
電通PRとKK共同で立ち上げた「研究会」のメンバーの中に、当時JBNのセンター次長だった大鹿伸生さんという方がいらっしゃいました。大鹿さんは社団法人共同通信社(現・一般社団法人共同通信社)の記者として海外支局勤務の長い方で、ロンドン支局長も経験されていました。
大鹿さんから伺った海外でのワイヤーサービスの利用実態が、大きなきっかけになりました。
――海外でのワイヤーサービス利用実態とは、具体的にはどのようなものだったのでしょうか。
国田:大鹿さんのお話で興味深かったのは、「海外ではプレスリリースはPR NewswireやBusiness Wireなどのワイヤーサービス経由で届くのが常識で、紙のリリースはほとんど読まれなくなっている」ということ。そして「フィナンシャル・タイムズやロイターなど主要メディアはワイヤーサービス経由で受信し、直接編集に生かしている」とのこと。
「ワイヤーサービスに流さなければディスクローズ(情報開示)したことにならない」と言われるほど、ワイヤーサービスは欧米企業のディスクロージャー活動における標準インフラとして定着していたのです。
目から鱗でした。これが世界標準なんだと。そして、日本にもこの流れは必ずやってくると確信しました。同時に思ったことは、この世界標準に準拠したサービスを開発しなければならないということでした。
これが世界標準なんだ。日本にもこの流れは必ずやってくる。
――その後本格的なプロジェクトとして動き始めたのはいつ頃でしょうか。またプロジェクトは順調だったのでしょうか。
国田:1997年の10月から「研究会」で約半年間検討し、事業企画をまとめました。しかし1998年3月、電通PRで役員会議に諮ったところ時期尚早と判断され、頓挫してしまいました。プレスリリースは、印刷、宛名書き、封入、郵送、そして記者クラブへの投げ込みというプロセスが当たり前だという認識がまだまだ残っていたのです。
経営会議では否決されましたが、それでも諦めることなく合同研究会を再開し、市場調査や事業収支などを含めて更なる検討を重ねながら、社内根回しを継続しました。
電通PRだけでなく、KK共同側でも、社内調整にご苦労されていたと聞いています。
そして一年後の1999年3月、「ワイヤーサービス研究会」としての事業計画書が完成しました。その後の根回しを経て、1999年末に、事業化に向けて互いの足並みを揃えて努力していこうという意思が、両社役員レベルで確認されました。
調整を重ね両社が正式な合意に至ったのは2000年の11月。ここから両社を挙げての協力体制がスタートすることになります。
会社が設立されたのは2001年6月、サービス開始は9月ですから、研究会が始まってから約4年。改めて振り返ると「本当に時間をかけて育てた事業だったんだな」と感じますね。
――事業化に向けて、まさに山あり谷ありだったんですね。時代のトレンドとしてはどうだったのでしょうか。
国田:当時、記者クラブ制度の見直しや開放の動きが出てきていました。1999年3月には、経団連機械クラブが廃止されています。IR(インベスター・リレーションズ)の観点からも、ディスクロージャー(情報開示)が重視されるようになってきていました。こういった動きは、広く公平にプレスリリース情報を届けるというワイヤーサービスの事業化には、追い風になっていたと思います。
CHAPTER 03
共同通信と電通PRが新会社を設立した理由
――プロジェクトは研究会という形でスタートし、新会社として事業化へ。両社で新しい会社を立ち上げるという形になったのはいつ頃でしょうか。
国田:新会社を設立するという考え方は比較的早い段階から明確でした。
共同通信は日本最大の通信社として、報道機関から高い信頼を得ています。一方私たち電通PRは、多くの企業と日常的に接し、広報活動やプレスリリース配信のニーズを最も近い立場で理解していました。
つまり、共同通信グループが持つ「信頼」と「ネットワーク」、電通PRが持つ「企業との接点」と「広報のノウハウ」、これらを組み合わせることで、新しい価値を生み出す。その両方を生かせる体制が理想でした。
――共同通信のブランドが持つ「信頼性」と、電通グループの「マーケティングや営業力」。一方が主役ということではなく、それぞれの強みを持ち寄ることで初めて成立する事業だったのですね。
国田:加えてさらにもう一つ大きかったのは「新しい事業」として育てていきたいという思いでした。
当時私たちはデジタルを活用した新しいPRビジネスを立ち上げようとしていました。その事業を単にKK共同の代理店として行うのではなく、自分たち自身が責任を持って育てていく事業にしたいという思いがありました。
KK共同側にも、電通PRと組んで展開する事業である以上、新しい組織で運営したほうが発展しやすいという考えがあったかと思います。
KK共同だけでもなく、電通PRだけでもない「独立した会社」としてスタートすることで、より多くの企業やメディアに開かれた存在になれる。その考え方は、当時から共有されていたと思います。
――会社そのものを新しくつくることも、サービスの設計思想の一部だった。
国田:はい。私たちは互いに「配信サービスを一つ作る」というより、「日本の情報流通を支える新しいインフラを育てていく」という意識を持っていました。
その意味でも、新会社という形でスタートしたことには、大きな意味があったと思います。
ただし合弁会社ですが、事業主体はあくまでもKK共同です。報道機関、メディアが母体となり事業を運営するということが重要だと認識していました。
CHAPTER 04
サービスは「メディア視点」から設計された
――続いてPRワイヤーのサービス設計など、サービス関連の立ち上げについてお聞きします。ワイヤーサービスを設計していく中で、最も重視したことは何でしょうか。
国田:サービスの基本的な考え方は、海外で普及している世界標準のワイヤーサービスに準拠しています。
世界標準のワイヤーサービスでは、配信先を目的ごとにまとめた「サーキット」という仕組みがあり、お客様は用途に応じてサーキットを選ぶだけでプレスリリースをターゲットのメディアに届けることができます。しかも、サーキットに含まれる配信先メディアは全て「ワイヤーサービスから送られてくるプレスリリースを受け取ります」という意思表示をしています。いわゆる受信許諾。ここがポイントですね。勝手に送りつけるのではない。
さらに配信先は廃刊・休刊などを随時反映させて鮮度を維持しています。
――「サーキット」という言葉は、現在の共同通信PRワイヤーでは使われていませんね。
国田:はい。「サーキット」という言葉は、日本では馴染みにくいので、現在は「カテゴリー」と言っています。名称は変わっても本質は同じです。企業側の「この情報をこのメディアに届けたい」というニーズと、メディア側の「こういうジャンルの情報を受け取りたい」というニーズ。この2つを最適に「マッチング」させる仕組みが「サーキット」です。
ただ日本では事情が少し違っていて、特に当時は「サーキットに入っていないこの媒体にも送りたい」「この記者にも届けたい」といった個別の要望が非常に多かったんです。
そのためサーキットの配信先に加え、各社が保有する配信先を追加できる日本独自の仕組みは必須でした。システム開発を担当したKK共同では、そのあたりに苦労があったかもしれません。
――海外の仕組みをそのまま持ってくるのではなく、日本の広報活動やメディア環境に合わせて設計し直したのですね。
国田:さらにもう一つ大きな議論がありました。プレスリリースはマスメディアに配信され、記事になって初めて一般の方の目に触れるのが当たり前でした。ところがワイヤーサービスでは、リリースをPRワイヤーのWebサイトに掲載すると、一般の方もメディアも同じタイミングで情報に触れることになります。
それで本当にいいのか、メディアが先に情報を得られるよう、一定のタイムラグを設けるべきではないか、また、発表する内容も記者向けと一般向けでは変える部分もあるのではないか、といった議論はかなり行われました。当時は今よりも記者クラブの影響力が大きかったので、そうしたところから反発があるのではないか、という懸念もありました。
そこで、入稿する原稿を記者向けと一般向けで変えることができ、配信・掲載のタイミングもそれぞれ別に設定できるように設計しました。
――結果、公開時間を調整する仕組みや、メディアと一般公開で問い合わせ先や掲載内容を書き分けられる機能が誕生した。
国田:通信社母体であるKK共同と一緒にサービスをつくる以上、受け手であるメディアの業務を理解し配慮することは欠かせないという考え方が中心にありました。
サービス全体を通じて言えることですが、私たちは「情報をたくさん公開すること」を目的にしていたわけではありません。
「正しく必要な情報を正確に届けること」。そのために必要な仕組みを、一つひとつ積み重ねていきました。
――その他、サービス設計上で重視したポイントはありますか。
国田:あと一つ、重視したポイントがあります。それは「メンバーシップ」です。会員制ですね。大事なことは、会員はルールを守ってくださいということ。
サービスというのは、結局はルールの上に成り立つものなので、どのようなルールで運営し、どのような基準でサービスを提供するのかが重要です。
PRワイヤーは、「サービス利用規約」というルールに同意して入会した国内企業の「会員」に対してサービスを提供します。入会にあたっては、必ず所定の審査を行い、審査基準に基づいて利用可否を判断する。さらに、プレスリリースの内容によっては配信・掲載を見合わせたり、規約に違反した場合の対応についても定めています。この厳格なルールに基づくメンバーシップによって、情報とその発信元、そしてPRワイヤーの「信頼性」が担保されているのです。
CHAPTER 05
25年間変わらない「信頼性」という価値
――今年、PRワイヤーは25周年を迎えました。改めて振り返ったとき、この25年をどのように評価されますか。
国田:PRワイヤー創業前後にもプレスリリース配信サービスを立ち上げる企業はいくつかありました。その中で、KK共同と電通PRという日本の報道や企業広報を長年支えてきた二つの会社が、この事業を立ち上げたことには大きな意味があったと思います。
「世界標準のプレスリリース配信はこういう仕組みで行うものだ」という考え方を、企業にもメディアにも広げることができた。その土台づくりができたことは、大きな価値があったと自負しています。
またワイヤーサービスを日本の環境に合わせて取り入れ、日本の情報流通基盤として定着させたことも、一つの役割だったと思います。
――情報流通の形が大きく変化する中で、「企業からもメディアからも信頼されるからこそ情報は社会へ届く」。その土台が、PRワイヤーなのだということを改めて感じました。
国田:創業当時から私たちが一貫して大切にしてきたのが「信頼性」です。
「プレスリリースはPRワイヤーで配信すれば必要なメディアに必ず届けてくれる」。「PRワイヤーから届くプレスリリースは安心して記事にできる」。企業からもメディアからも信頼されるように徹底してきたことが、PRワイヤーというサービスの根幹になっています。
――PRワイヤーの価値を一言で表すとしたら、どんな言葉になるでしょうか。
国田:そうですね。一言で表すなら、やはり「信頼性」だと思います。
テクノロジーはどんどん進化しています。これからはAI活用の時代になってきます。PRワイヤーはその時代の変化に合わせて必要な変革を続けてきました。大事なことは、創業当時に構想した「信頼性」という土台を守り続けながら、時代に合わせてイノベーションしていくことではないかと思います。
その両立ができたからこそ、企業とメディアの双方から信頼をいただき、今日まで続いてきたのだと思います。
変えるべきものは変えながら、変えてはいけないものは守る。電通PRコンサルティング 専務執行役員/共同通信PRワイヤー 取締役 国田 智子
CHAPTER 06
AI時代だからこそ「信頼できる情報」の価値は高まる
――今、私たちはAIという新しい時代を迎えています。改めて、PRワイヤーが変えてはいけないもの、逆に変えていくべきものについて聞かせてください。
国田:今はニュースアプリやSNSなど、多様な経路から情報に触れるようになり、情報流通の経路は大きく変化しました。そうした中で情報の出発点となる「ニュースソース」の重要性は、むしろ高まっていると感じています。
だからこそ、企業が責任を持って一次情報を発信すること、さらにその質を高めることが、これからの時代にはさらに求められると感じています。
PRワイヤーもプレスリリースを配信するだけではなく「汐留PR塾」のような活動を通じて、企業の情報発信そのものの質を高める取り組みを続けてきました。そういった活動もこれからますます重要になっていくと思います。
――確かに現在はフェイクニュースなど情報の信頼性が問われる時代になりました。一次情報が正確であることの価値は、これまで以上に高まっているように感じます。
国田:私もそう思います。AIがどれだけ発達しても、最初の情報が間違っていれば、その後に広がる情報も正しいものにはなりません。
だからこそ信頼できる情報を社会へ届ける仕組みは、これからさらに重要になっていくと思います。
情報を届ける手段や技術は変わっても、「信頼できる情報を届ける」という役割そのものは、変わることはありません。
――「創業当時から大切にしてきた価値が、AI時代になって改めて評価されるようになった」と。
国田:そうですね。時代は変わります。新聞からWebへ、SNSへ、そしてAIへと、情報流通の形はこれからも変化していくでしょう。
その変化に対応しながらも、信頼できる情報を社会へ届けるという使命は変わりません。それがPRワイヤーという会社の役割であり、これからも守り続けるべき価値だと思っています。
CHAPTER 07
未来へ。「信頼できる情報」で社会をつなぎ続ける
――最後にこれからのPRワイヤーについておうかがいします。AIの進化など情報流通のさらなる変化が予測される中で、PRワイヤーはどのような企業を目指すべきだとお考えでしょうか。
国田:情報発信者である企業・団体と、メディア、そしてその先にいる読者を、信頼できる情報でつなぐ。
その役割は変わらず持ち続けたいですし、そういう会社であるべきだと思っています。直接生活者へ情報が届く場面も増えていくかもしれません。
しかし情報を届ける経路や技術がどのように変化したとしても、本質は変わりません。相手がメディアであっても、生活者であっても、信頼できる良質な情報を届けるインフラであり続けること。
それが社会にとって必要とされる存在であり続けるために、最も大切なことだと思います。
- 語り手
- 国田 智子 氏(株式会社電通PRコンサルティング 専務執行役員/株式会社共同通信PRワイヤー 取締役)
- 創業への関与
- 1997年10月〜 電通PR・KK共同合同の「研究会」メンバーとして事業構想・サービス設計に参画
- 研究会開始
- 1997年10月(1998年3月に一度は「時期尚早」で頓挫、再開)
- 事業計画書完成
- 1999年3月(「ワイヤーサービス研究会」)
- 両社正式合意
- 2000年11月
- 会社設立
- 2001年6月(サービス開始は2001年9月3日)
- 取締役就任
- 2020年3月(現任)
インタビュー:2026年7月
本記事は、共同通信PRワイヤーのサービス開始25周年(2026年9月3日)を機に始めた連載「PR WIRE 25周年 特別インタビュー」の第2回です。掲載する発言はすべて整文のうえ、公開前に株式会社電通PRコンサルティングの確認を得ています。
