糖尿病根治に扉を拓くタンパク質の発見
~インスリン分泌細胞を増やすタンパク質の同定~
2025年3月14日
早稲田大学
糖尿病根治に扉を拓くタンパク質の発見
~インスリン分泌細胞を増やすタンパク質の同定~
発表のポイント
●糖尿病は既存の糖尿病治療薬では根治することができず、その根治にはインスリン分泌細胞(膵β細胞)
の細胞量を増やす治療薬の開発が必要。
●インスリン分泌細胞(膵β細胞)の細胞量を増やすことができる、肝臓から分泌されるタンパク質(ヘパトカイン)のニューレグリン1を同定した。
●ニューレグリン1タンパク質投与により2型糖尿病発症マウスの膵β細胞量とインスリン分泌量を増やし、血糖値を下げることができた。
●2型糖尿病患者の血中ニューレグリン1濃度は低いことから、ニューレグリン1の補充療法によって糖尿病を根治できる可能性がある。
早稲田大学理工学術院の合田 亘人(ごうだ のぶひと)教授、同大学・先進理工学研究科の新井 理智(あらい たかとも)博士、大阪公立大学大学院医学研究科 肝胆膵病態内科学 河田 則文(かわだ のりふみ)教授らの研究グループは糖尿病の根治に必要不可欠であるインスリン分泌細胞(膵β細胞)の細胞量を増やすことできる、肝臓から分泌されるタンパク質(ヘパトカイン)のニューレグリン1を同定することに成功しました。
糖尿病は高い血糖値を特徴とする慢性疾患です。2023年、世界の糖尿病患者数は5億3千万人にも上り、2045年には7億人を突破し、10人に1人が糖尿病に罹患する状況になると予測されています。糖尿病の原因は、血糖値を下げることができる唯一のホルモンのインスリンが十分に働かないことにあります。これまでに血糖値を下げる薬が数多く開発されてきましたが、未だ糖尿病を根治できる薬は存在しません。糖尿病の根治には、インスリンを分泌できる膵β細胞の量を増やすことが必要です。そのために、体の中で膵β細胞の量を安全に増やすことができる分子の探索と、その作用発現の分子機構の解明が重要です。
本研究成果は、2025年3月13日(木)に『Nature Communications』のオンライン版で公開されました。
(1)これまでの研究で分かっていたこと
慢性的な高血糖を特徴とする糖尿病では、病態の進行に伴って血糖値を下げることができる唯一のホルモンのインスリンを分泌する膵β細胞の量が減少します。そのため、体内のインスリンの働きが悪くなり、正常な血糖値を維持することができません。既存の糖尿病治療薬は、血糖値を下げることを目的としている対処療法です。つまり、糖尿病患者は一生薬を服用し続ける必要があります。糖尿病の根治療法は、インスリン分泌の能力を持った膵β細胞の量の回復が必須ですが、これを実現できる治療薬は未だ開発されていません。
肥満を背景に発症する2型糖尿病患者の場合、糖尿病と診断される前からインスリンの作用を強めるために膵β細胞の量が代償的に増えることが分かっていました。これまでの研究から、肝臓から分泌される因子、近年ではヘパトカイン ※1と総称される分子が、生体防御機構とも言えるこの現象にかかわっていることが分かってきましたが、その実態はよく分かっていませんでした。
(2)今回の新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと、そのために新しく開発した手法
今回の研究では、2型糖尿病の発症過程において認められる生体防御機構としての“代償的な膵β細胞の量の増加”にかかわる肝臓由来の分泌因子、所謂、ヘパトカインを同定することを目指しました。そのために、脂肪と糖質が豊富に含まれる食餌をマウスに15週間投与して、ヒトの2型糖尿病に類似した病態、つまり肥満を背景に2型糖尿病を発症するようにしました。重視したのは、膵β細胞が局在する膵島(ランゲルハンス島)の大きさが食餌投与後にどのように変化するのかを組織切片を作成して経時的に解析したことです。その結果、食餌投与10週目までは膵島のサイズに大きな変化がなく、投与15週で急激に大きくなることを見いだしました。そこで次に、食餌投与前、投与10週目と投与15週目の肝臓の遺伝子の発現量を網羅的に解析しました。そのデータを用いて、3つの条件、1)食餌投与前と比較して投与10週目の肝臓で遺伝子の発現量があまり変化しない遺伝子、2)食餌投与前と比較して投与15週目の肝臓で遺伝子の発現量が大きく変化する遺伝子、3)分泌 される可能性がある遺伝子を設定して140の候補遺伝子 を絞り込みました。候補遺伝子を正常マウスの肝臓に過剰に発現し、膵島が大きくなるかどうかを組織学的に解析した結果、ニューレグリン1を見いだすことに成功しました。実際にニューレグリン1が2型糖尿病で認められる代償的な膵β細胞の量の増加にかかわるのかについて、肝臓でニューレグリン1遺伝子を欠損させた2型糖尿病マウスを作出して解析しました。その結果、ニューレグリン1遺伝子を欠損させたマウスでは膵臓の肥大が抑制され、血糖値がさらに上昇することを見いだしました(図1)。
図1: 2型糖尿病を発症した肝臓特異的ニューレグリン1遺伝子欠損マウスにおける 経口糖負荷試験(左)と膵臓内ランゲルハンス島の組織画像(右) 左:15週間高脂質高糖質食を投与し2型糖尿病を発症させると、ニューレグリン1遺伝子を 欠損したマウスの膵臓内ランゲルハンス島の代償性肥大が野生型マウスと比較して抑制されていた。 右:15週間高脂質高糖質食を投与し2型糖尿病を発症させると、 ニューレグリン1遺伝子を欠損したマウスでは糖負荷後の血糖値上昇が野生型マウスよりも増加した。
逆に、ニューレグリン1遺伝子を肝臓で過剰に発現すると、膵臓の肥大が増強して血糖値が下がりました。また、ニューレグリン1タンパク質を肥満・2型糖尿病モデルマウスに投与しても同様の改善効果が認められました(図2)。
図2: 2型糖尿病マウスにニューレグリン1タンパク質を投与した経口糖負荷試験(左)と 膵臓内ランゲルハンス島の組織画像(右) 左:自然発症2型糖尿病マウスにニューレグリン1タンパク質を4週間に亘り投与すると、 膵臓内ランゲルハンス島がさらに大きく肥大した。 右:自然発症2型糖尿病マウスにニューレグリン1タンパク質を4週間に亘り投与すると、 糖負荷後の血糖値上昇がコントロールよりも低下した。
さらに、ニューレグリン1の作用は膵臓のERBB2/3※2受容体 と、細胞内MEK/ERK※3シグナル系を介した膵β細胞の細胞増殖の活性化によるものであることも明らかにしました。最後に、代謝異常関連脂肪性肝疾患(MASLD)※4患者集団の解析を行い、BMI30以上の患者では血中ニューレグリン1タンパク質濃度が高くなること、一方で2型糖尿病を発症するとその濃度が低下することを見いだしました(図3)。
図3: 代謝異常関連脂肪性肝疾患患者の血中ニューレグリン1濃度 代謝異常関連脂肪性肝疾患患者の血中ニューレグリン1濃度はBMI30以上の肥満患者で高値を示す。 一方、2型糖尿病を併発した患者では血中ニューレグリン1濃度が低下する。
この結果は、ニューレグリン1がヒト膵β細胞の量の調節にかかわる可能性があること、また血中ニューレグリン1タンパク質濃度が低下している2型糖尿病患者にニューレグリン1の補充療法が糖尿病の改善をもたらしうる可能性があると考えています。
(3)研究の波及効果や社会的影響
これまでに糖尿病を根治できる治療薬は開発されていません。糖尿病の根治には、インスリン分泌能力を持った膵β細胞の量を回復することが必要です。今回発見したニューレグリン1は膵β細胞の量を回復する作用を示すタンパク質です。欧米人と比較して、アジア人、特に日本人はインスリン分泌能力が低く、糖尿病を発症しやすい人種です。2型糖尿病患者で血中ニューレグリン1濃度が低かったことから、ニューレグリン1の補充療法が膵β細胞の量を回復し、糖尿病を根治できる可能性がある有望な方法になりうると考えています。また、血中ニューレグリン1濃度が糖尿病発症を予見できる新しいバイオマーカーとして使える可能性もあります。
(4)今後の課題、展望
ニューレグリン1がヒトの膵β細胞の増殖を活性化できるのか、また2型糖尿病だけでなく1型糖尿病の膵臓に対してもその作用が認められるのか検証が必要です。ニューレグリン1を標的とした治療薬の開発はその安全性の検証のみならず、膵β細胞への指向性をどのように担保すべきかを考慮する必要があります。しかしながら、マウスを用いた研究成果がヒトでも同じような効果をもたらすことができれば、糖尿病の根治療法になり得る可能性があると考えます。
(5)研究者のコメント
本研究で着目したニューレグリン1は、膵β細胞に直接働きかけ、その細胞量を増やすことができる分子であり、ニューレグリン1が糖尿病の根治治療標的になりえる可能性を秘めています。期待した通りの効果がヒトでも認められれば、糖尿病根治への道を拓くことができると信じています。
(6)用語解説
※1 ヘパトカイン
肝臓から分泌され、体内の他の臓器に働きかけ作用を発揮する因子の総称。
※2 ERBB
上皮成長因子受容体ファミリーに属し、4種の受容体型チロシンキナーゼから構成される膜タンパク質から構成される。
※3 MEK/ERKシグナル系
ERKは増殖因子などの細胞分裂促進因子によって活性が強く誘導されるセリン/スレオニンキナーゼの1つ。MEKはERKのスレオニンとチロシンをリン酸化し活性化する上位のキナーゼ。
※4 代謝異常関連脂肪性肝疾患(MASLD)
脂肪肝に加え、肥満、耐糖能異常、高血圧、高中性脂肪血症、低HDL血症のいずれかの代謝異常を併発している疾患。以前は非アルコール性脂肪性肝疾患(NAFLD)と呼ばれていた。
(7)論文情報
雑誌名:Nature Communications
論文名:Liver-derived Neuregulin1α stimulates compensatory pancreatic β cell hyperplasia in insulin resistance
執筆者名:Takatomo Arai¹, Eriko Hayashi¹, Sumie Maeda¹, Tsutomu Matsubara³, Hideki Fujii³, Koya Shinohara², Arisu Sogabe¹, Sadatomo Wainai¹, Daishi Tanaka¹, Yutaro Ono¹, Yumika Ono¹, Minami Yoshikai¹, Yuriko Sorimachi², Cindy Yuet-Yin Kok⁴⁵, Masayuki Shimoda², Minoru Tanaka², Norifumi Kawada³, Nobuhito Goda¹* *責任筆者
1.早稲田大学先進理工学研究科
2.国立国際医療研究センター研究所
3.大阪公立大学大学院医学研究科
4. Neuroscience Research Australia, NSW, 2031, Australia
5. Discipline of Medicine, Randwick Clinical Campus, University of New South Wales, Sydney, NSW 2031, Australia
掲載日時:2025年3月13日(木)
掲載URL: https://www.nature.com/articles/s41467-025-57167-0
DOI: https://doi.org/10.1038/s41467-025-57167-0
(8)研究助成
研究費名:ストレス応答制御に基づく次世代型健康寿命科学の研究拠点形成
研究費名:私立大学戦略的研究基盤形成支援事業 2012年 - 2016年
研究費名:新規ヘパトカインのニューレグリン1を介した糖尿病の病態制御機構の解明
研究費名:日本学術振興会 科学研究費助成事業 基盤研究(C) JP17K08674
研究代表者名(所属機関名):合田 亘人
研究費名:肝臓由来のタンパク質を介した臓器間クロストークに基づく新しい血糖調節機構の解明
研究費名:日本学術振興会 科学研究費助成事業 基盤研究(C) JP20K07345
研究代表者名(所属機関名):合田 亘人
研究費名:低酸素シグナルが拓く生活習慣病の新しい病態制御
研究費名:日本学術振興会 科学研究費助成事業 新学術領域研究(研究領域提案型) 新学術領域研究
(研究領域提案型) JP26111003
研究代表者名(所属機関名):南学 正臣 (東京大学)
研究費名:ErBBシグナルを介した膵β細胞分化・増殖制御機構の解明と新規糖尿病治療法創出への応用
研究費名:公益財団法人 高橋産業経済研究財団
研究代表者名(所属機関名):合田 亘人
研究費名:ニューレグリン1を介した糖代謝制御機構の解明
研究費名:一般財団法人 日本産業科学研究所
研究代表者名(所属機関名):合田 亘人
研究費名:低酸素応答システムを介した新しい脂質代謝制御機構の探索とその機能の解明
研究費名:早稲田大学 特定課題(研究基盤形成)2013B-174
研究代表者名(所属機関名):合田 亘人
研究費名:脂肪蓄積を制御する新しい低酸素ストレス応答の解明
研究費名:早稲田大学 特定課題(研究基盤形成)2014B-313
研究代表者名(所属機関名):合田 亘人
研究費名:脂肪蓄積を制御する新しい低酸素ストレス応答の解明
研究費名:早稲田大学 特定課題(研究基盤形成)2015B-323
研究代表者名(所属機関名):合田 亘人
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