ソル・カーズナー氏(1935-2020年):南アフリカの先見の明のあるホテル経営者
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【ロンドン2020年3月21日PR Newswire=共同通信JBN】
*世界のホスピタリティー業界に消せない足跡を残す
世界で最も斬新なホテル経営者の1人で、サザンサン(Southern Sun)ホテルグループ、サン・インターナショナル(Sun International)、カーズナー・インターナショナル(Kerzner International)を創設したソロモン(ソル)・カーズナー(Solomon(Sol)Kerzner)氏は、南アフリカ・ケープタウンのリウコピーエステートにある実家でがんのため死去した。常に独立独歩のカーズナー氏はホテル・リゾート業界の大物で、世界の統合観光リゾートの規模と範囲を再設定した。享年84歳。
ロシア移民の子息であるカーズナー氏は1935年、南アフリカのヨハネスブルクで生まれた。兄弟姉妹4人の末っ子、唯一の子息で、危険地帯出身の労働者階級の少年だったが、長じて南アフリカ有数の影響力ある起業家になった。国内最大のホテルグループ、サザンサンとサン・インターナショナルを創設したカーズナー氏は、画期的なリゾートで国際的に脚光を浴びた。それは国内だけでなく、モーリシャス、モルディブ、バハマ、ドバイ、その他の主要な国際目的地に観光業を展開する役に立った。
この人物の複雑性と断固たる決意は、次のような事実から伺うことができる。すなわち、12歳の時にヨハネスブルク交響楽団で演奏した。同じ年、当初は当時の荒っぽい、育った地であるベズバレー郊外で自衛のため、その後は本気のスポーツとして、ボクシングを始めている。言うまでもなく、ウィットウォータースランド大学で会計学の学位を取得するまでに、学内でウエルター級のチャンピオンになった。
カーズナー氏は、世間から注目されて人生の大半を送った人物にしては驚くほど私人で、元の同僚やパートナーの多くはこの卓越した人物の闘志と根性を証言するだろうが、彼に柔らかい面もあることを知る者は少ない。
ホスピタリティー業界におけるカーズナー氏のキャリアは、会計専門職を離れ、南アフリカ・ダーバンの小さな宿アストラ(Astra)を手に入れた1962年に始まった。カーズナー氏は直ちに、この落ちぶれた施設を域内有数の人気ホテルに改修した。彼の革新に対する飽くなき欲望を刺激し、キャリア60年を特徴づけるトレードマークの創意工夫を示した成功である。
カーズナー氏は弱冠26歳にして、南アフリカに国内には当時入手可能な何よりもまずホスピタリティーを提供する機会があると確信するに至った。誰もができると考えていないこの時期、カーズナー氏の画期的なプロジェクトはウムランガロックスの南アフリカ初の5つ星ホテル、ビバリーヒルズ(Beverly Hills)であった。ダーバン北方海岸のさびれた一帯に建設されたこのホテルで、カーズナー氏は再び不利な条件をはねのけて大成功を収め、南アフリカの傑出したホテル経営者との評判を得た。カーズナー氏は引き続きダーバンの海辺に450室のエランゲニ・ホテル(Elangeni Hotel)を建設、次いでSouth African Breweriesと提携して、サザンサンの各ホテルを開業した。サザンサンは1983年までに高級ホテル30軒、計7000室を運営している。
カーズナー氏の最も記念碑的で物議を醸した業績は、サンシティ(Sun City)の創設である。ヨハネスブルク北方の道路もインフラもないこの場所で、彼はアフリカ全体で最も野心的なリゾートプロジェクトを構想、実現した。1975年の着工から10年でホテル4軒、人造湖、ゲイリー・プレイヤー設計のゴルフコース2カ所、6000席の屋内アリーナを備えたエンターテインメントセンターを建設した。アリーナはクイーン、フランク・シナトラ、ライザ・ミネリ、シャーリー・バッシーら世界一流のアーティストたち、また、大規模な世界タイトル戦、その他多くの華々しいイベントの会場になった。カーズナー氏はまたもや反対意見をもろともせず最高の労働力を訓練し、完全に非人種ベースでサンシティを運営した。訪問した最も皮肉な海外ジャーナリストでさえ、広大なリゾートの運営の裏側に人種差別を見つけようとして、敗北を認めざるを得なかった。
ソル・カーズナー氏は初期のホテル時代から、「顧客を感動させよ」という1つの行動原理に導かれてきた。ダーバン周辺、その後モーリシャスやバハマでホテル、リゾート建設の候補地を探す時、彼がその場所から「感動を受ける」ことがなければ、先に進んでほかの海岸を見つける。カーズナー氏、あるいはボプタツワナからドバイまで彼のために働く大勢の人々にとって、「次善」「十分」は決して選択肢にならず、この創造性と鋭いビジネス洞察力のまれなブレンドが彼に、南アフリカ全土の評判とセレブの地位をもたらした。
1994年の南アフリカ初の全人種選挙を受けて、カーズナー氏は新任のネルソン・マンデラ大統領から就任式VIPイベントの準備を依頼された。これには世界各国の指導者、元首が参列した。これは特別な機会であり、アイコニックな世界的政治家との緊密な関係を固めたものであった。マンデラ大統領はカーズナー氏について「彼は行く先々で違いを生む。ソル、われわれの世界を変えてくれてありがとう」と語った。2人の真の友情は、2013年にマンデラ氏が他界するまで続いた。
カーズナー氏は1994年、アフリカ以外で初めて、バハマのパラダイスアイランド・リゾート(Paradise Island Resort)の大型買収を行った。ここで彼は大型の再開発・拡張プロジェクトに着手し、この破産資産をぜいたくなアトランティス・リゾート(Atlantis Resort)に転換した。画期的な2300室のリゾートで、世界最大級の人口海洋ハビタットやカリブ最大のカジノを備えている。明快なテーマ、物語、神話伝説があるアトランティスは、各年齢層のビジターに強くアピールしている。今後はコーブ(Cove)とリーフ(Reef)両ホテルでアトランティスが拡張され、1100室が加わる。
カーズナー氏はこれまで、子息のバッチ氏と緊密に協力し、コーポレートファイナンスの有望なキャリアから自分の会社に移るよう説得した。それを機に、社名はKerzner Internationalに変更された。国際的に定評あるホテル経営者としてカーズナー親子は上昇し続け、1996年に2人は米国初進出のカジノリゾート施設、モヒガン・サン(Mohegan Sun)を建設した。これは今もなお、北米最大級のゲーム&エンターテインメント施設になっている。
カーズナー氏の国際的な業績を回想し、友人でもあり20年にわたって同氏のさまざまな企業に従事したイアン・ダグラス氏は次のようにコメントした。「カーズナー氏は創造的な天性、比類のない金融への鋭い感覚、そして驚くべきエネルギーという類まれな組み合わせを備えた人物で、それを彼が手掛けたすべての事業に注いだ。彼の作り上げたもので退屈なものは何一つなく、お金を追い求めず、成功だけを求めていた。彼は常に先駆的で、常により大きく、より良く、新しく、他と異なり、さらに困難でエキサイティングなプロジェクトを世界中を舞台にして追求した」
ソル・カーズナー氏とバッチ氏はバハマ、メキシコ、モーリシャス、モルディブ、南アフリカ、ドバイに、受賞に輝いたラグジュアリー施設のワン&オンリーリゾート(One&Only Resorts)を立ち上げるに至った。それぞれのワン&オンリーの施設は、イノベーターであり完全主義者でもあったカーズナー氏の本質の通り、そのデザインと雰囲気がユニークなだけでなく、ほぼ全てのタッチポイントにわたって最高のゲスト体験を提供し、カジュアルラグジュアリー・リゾート空間の新たな基準を設定した。
Kerzner Internationalの最高経営責任者(CEO)に着任して間もないバッチ・カーズナー氏は2006年にドミニカ共和国で候補地の視察中、ヘリコプター事故で死亡する悲劇に見舞われた。当時、Kerzner Internationalの取締役会長だったソル・カーズナー氏はCEOに復帰し、同社の業務を継続してバッチ氏の取り組みを完成させる決意をした。
生涯を通しての友人であるジェフ・ルーベンスタイン氏は、その困難な日々を詳しく記憶している。同氏は「ソル・カーズナー氏は、その人の出身に関係なく、粘り強く取り組めば成功すると信じていた。彼は決して、自分の環境、人生で経験した悲劇を失敗の言い訳にしなかった。彼が『いつも闘い続ける必要がる』と常に言っていた通り、もし悲劇が彼にとって重荷なら、ハードワークはそれへの対抗手段だった」と述べた。
カーズナー氏はドバイにアトランディス・ザ・パーム(Atlantis, The Palm)を開発し、Atlantisブランドを世界に拡大することに乗り出した。15憶ドルを投入した、1500の室を備えるこの観光リゾートは中東で最大の水族館とウオーターパーク、高級リテールモール、世界的に有名なシェフのレストランなどを特徴にしている。2008年後半にオープンした同施設は世界で最も大規模な花火の打ち上げや、素晴らしいオープニングパーティーを行ってメディアからの世界的に高い評価を受け、セレブやビジターを全世界から引き付けた。
カーズナー氏はモロッコで500室を備えたマザガン・ビーチリゾート(Mazagan Beach Resort)を開発する目的で2009年にアフリカに戻った。同時に、有名なV&A Waterfront(ビクトリア&アルフレッド・ウオーターフロント)に位置するワン&オンリー ケープタウン(One& Only Cape Town)もオープンした。ワン&オンリー ケープタウンを開業するころ、カーズナー氏は「私は最近、ビバリーヒルズ(ホテル)に行った。そこには1964年に私と一緒だった人たちいて、再会を喜んだ。そこは以前と変わりなく、とても優れたホテルだった。時間と共に、われわれには良いときと悪いときがあることを人は受け入れる必要がある。でも過去を振り返り、私がなにを変え、違う方法でやったのかを思うとき、それはそれほど多くはない。思うに、私は人生で多岐にわたる経験を非常に広く積むことができて幸運だったのだ」
「だからこそ、私は面白い旅の中にある。困難なときも良いときもあったが、そのすべてを通し、私は物事を成し遂げる決意をした。私がそれ以外のことをやるのは想像できない。とても楽しい経験だ。毎日、ビジネスに身を費やすことは喜びだ!」と述べた。
カーズナー氏は2010年12月、女王誕生記念叙勲で聖マイケル・聖ジョージ勲章(KCMG)のナイトコマンダーの称号を受け、ホスピタリティーへの情熱が評価された。カーズナー氏はその称号を決して名乗ったことはなく、人が同氏に「サー・ソル(Sir Sol)」と呼びかけた際にはいつも驚き、面白がった。
2012年、One&Only Groupは中国、オーストラリア、モンテネグロにおけるプロジェクトを発表し、その翌年は中国の海南島で3番目のアトランティス・リゾート(Atlantis Resort)を建設する計画を明らかにした。ロイヤルアトランティス(Royal Atlantis)開発でドバイのアトランティスに800室を追加し、230のラグジュアリーな住宅マンション建設し、同施設を拡大する提案が発表され、カーズナー氏はKerzner Internationalに向けたこのプロジェクトの立案とデザインを先導した。
2014年、カーズナー氏はついにKerzner Internationalを離れることを決意し、引退して同社の会長になった。
国際的なリゾート産業に対するカーズナー氏の影響は軽視できない。同氏の人生の地味なスタートから60年にわたるキャリアを積み、12カ国以上で80を大きく超えるホテルとカジノ施設を立ち上げた。カーズナー氏の決意、忍耐、突出した想像力は統合観光リゾートの空間を真に変革し、同氏の業界への影響は世界中で見られ、感じることができる。
カーズナー氏の世界的に有名な地位と、ビジネスでの膨大な名声を保てるニーズにもかかわらず、カーズナー氏は常に強く家族を思う人物であり続けた。同氏の娘であるアンドリア氏は次のように述べた。「父はどんなに多忙なときも、私たちに家族の価値を教えてくれた。父はいつも私たち家族のために時間を作ってくれた。父は重要な会議の最中でも、世界中の空のどこかを飛んでいても、私たちからの電話を受け、孫の誕生パーティーに仲間入りした。父にとって家族は父の全てあり、喜びだった」
カーズナー氏は子どものアンドリア、ビバリー、ブランドン、チャンタルの各氏、そして10人の孫を残した。長男である、ハワード・“バッチ”・カーズナー氏は2006年に他界した。
ソル・カーズナー氏は親族のみが参列する少人数の密葬で埋葬される。
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ソース:The Phoenix Partnership
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