中枢神経系における新たな細胞生存メカニズムを解明

-RNA制御を介したがん抑制遺伝子産物p53の新たな制御機構-

新潟大学

 新潟大学大学院医歯学総合研究科脳機能形態学分野の備前典久助教、竹林浩秀教授らの研究グループは、脳や脊髄などの中枢神経系の発生の際に神経前駆細胞(1)とオリゴデンドロサイト前駆細胞(2)の生存に必須の分子『Ddx20』(3)を発見し、その分子作用メカニズムを明らかにしました。本研究の成果により、先天性神経疾患や多発性硬化症などの脱髄疾患の病因解明と治療法開発につながることが期待されます。さらに、本研究により明らかになったことは細胞生存のための基本的なしくみであると考えられ、がんを含む様々な組織の病態に関与する可能性があります。この研究は、新潟大学脳研究所モデル動物開発分野の﨑村建司名誉教授、阿部学准教授、京都府立医科大学の小野勝彦教授らとの共同研究で行われました。この研究成果は、2022年1月1日にCell Death and Differentiation(セル・デス・アンド・ディファレンシエーション)誌にオンライン版で先行公開されました。

 

【本研究成果のポイント】

・神経前駆細胞やオリゴデンドロサイト前駆細胞は脳や脊髄などの中枢神経系の構築と維持に重要な役割を担っています。

・RNAヘリカーゼDdx20は神経前駆細胞とオリゴデンドロサイト前駆細胞の生存に必須の分子であることがわかりました。

・Ddx20がp53(4)の制御を通じて細胞を生存させるメカニズムを明らかにしました。

・Olig2(5)転写因子がDdx20を介して神経前駆細胞の増殖に寄与する仕組みを明らかにしました。

 

Ⅰ.研究の背景

 脳や脊髄を構成する中枢神経系は、神経前駆細胞の増殖と、神経細胞やグリア細胞への分化が適切に行われることで構築されます。転写因子Olig2は一部の神経前駆細胞に発現し、運動神経やオリゴデンドロサイトの発生に必須の分子であるほか、神経前駆細胞の増殖にも寄与するなど多彩な機能を発揮します。しかし、Olig2がこのような多様な発生プロセスをどのように制御しているかは未だ不明な点が多く残されています。そこで本研究グループはOlig2と結合する分子を探索し、その分子とOlig2が関わる発生メカニズムの解明を目指しました。

 

Ⅱ.研究の概要

 本研究では、まずOlig2と結合する分子の探索から始め、RNAヘリカーゼDdx20を同定しました。Ddx20はRNAスプライシング(6)、タンパク翻訳、転写などを制御する多機能な分子として知られています。発生期の中枢神経系でDdx20が欠損するマウスを作製し解析したところ、神経前駆細胞とオリゴデンドロサイト前駆細胞において、アポトーシス(apoptosis)と呼ばれる細胞死が急速に進むことがわかりました。細胞死の原因となるメカニズムを調べたところ、がん抑制遺伝子産物として知られるp53の過剰な蓄積が認められました。さらに、p53の蓄積はゲノムDNAが損傷することと、p53を分解する因子をコードするMdm2遺伝子のRNAスプライシングに異常が生じ、機能が喪失することが原因であることがわかりました。Ddx20はRNAスプライシングを制御するSMN複合体の構成因子としても知られています。興味深いことにDdx20欠損マウスでは、SMNタンパクが不安定化しており、RNAスプライシング機構に異常をきたしていました(図1)。そして、Olig2陽性細胞では、Olig2タンパクはDdx20を安定化することでDdx20の機能を維持し、p53の抑制を介して神経前駆細胞の増殖を促進することも明らかになりました。

 


Ⅲ.研究の成果

 がん抑制遺伝子p53は、細胞の増殖、分化、細胞死などを調節することで正常な個体発生に寄与しています。本研究により、Ddx20によるRNA代謝制御系を介したp53経路の抑制が、中枢神経系の発生に必要不可欠であることがわかりました。これまでOlig2はp53経路を抑制することで神経前駆細胞の増殖を促進することが知られていました。本研究でOlig2によるp53抑制機構の詳細なメカニズムの一端が明らかになったことに加え、転写因子であるOlig2がDdx20を介してRNA代謝を制御することも明らかとなり、Olig2の転写調節にとどまらない多彩な機能が示されました(図2)。また本研究グループは、これまでにDdx20がオリゴデンドロサイトの分化・成熟にも必須であることを明らかにしています(Simankova, Bizen他, Glia 2021:新潟大学プレスリリース 2021.7.21.)。したがって、本研究の成果を合わせることで、Ddx20がオリゴデンドロサイトの発生の各ステップで必要不可欠な分子であることがわかりました。

 


Ⅳ.今後の展開

 本研究により、Ddx20によるp53制御を介した中枢神経系発生メカニズムを明らかにしましたが、Ddx20はRNAスプライシング以外にも、RNA輸送、翻訳、転写調節など多様な機能を有しており、本研究の成果以外の仕組みによっても中枢神経系の様々な発生プロセスに関与していることが予想されます。また、Ddx20は複数のがんの病態にも深く関与していることが報告されています。Olig2はグリオーマ(神経膠腫)やメラノーマ(悪性黒色腫)の進行にも関わっているという報告もあり、Ddx20とOlig2の相互作用が、がんの発生や進行に関わっている可能性があります。したがって、今後さらなる研究を進めることで、先天性神経疾患やがんの病因解明と治療法開発の糸口になることが期待されます。

 

Ⅴ.研究成果の公表

 本研究成果は、2022年1月1日、SpringerNatureが刊行する科学雑誌Cell Death and Differentiation誌(IMPACT FACTOR 15.828)のオンライン版に先行掲載されました。

論文タイトル:Ddx20, an Olig2 binding factor, governs the survival of neural and oligodendrocyte progenitor cells via proper Mdm2 splicing and p53 suppression

著者:Norihisa Bizen, Asim K Bepari, Li Zhou, Manabu Abe, Kenji Sakimura, Katsuhiko Ono, Hirohide Takebayashi

doi: 10.1038/s41418-021-00915-8

 

Ⅵ.謝辞

 本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金、上原記念生命科学財団研究助成金、新潟大学塚田医学奨学基金による研究助成、新潟大学脳研究所・学内異分野融合共同研究の支援を受けて行われました。

 

 

【用語解説】

(1) 神経前駆細胞

中枢神経系(脳や脊髄)を構成する細胞である神経細胞やグリア細胞を生み出す未分化細胞。

 

(2) オリゴデンドロサイト前駆細胞

オリゴデンドロサイト(別名:希突起神経膠細胞)を生み出す細胞。オリゴデンドロサイトはグリア細胞の1つであり、白質領域に豊富に存在する。シート状の膜を作り神経細胞の軸索に巻き付けることでミエリン(髄鞘)と呼ばれる構造体を形成する。ミエリンは脂質に富み絶縁体として働くため、軸索を伝わる電気信号の伝導速度を高める効果がある。ミエリンは、軸索の保護や神経細胞の代謝をサポートすることで神経細胞の恒常性を維持する役割も持っている。

 

(3) Ddx20 (DEAD box helicase 20)

RNAの構造を変化させる酵素であるRNAヘリカーゼの一つ。別名としてGemin3, DP103とも呼ばれる。運動ニューロン病である脊髄性筋萎縮症(SMA)の原因遺伝子であるSMNと結合してSMN複合体を形成しRNAスプライシングを制御することが知られている。またDdx20タンパクは、RNA輸送などのRNA制御や、遺伝子発現制御、タンパク質翻訳などにも関与することがわかっており、多様な役割を持つ因子として知られている。

 

(4) p53

がん抑制遺伝子の一つとして知られ、細胞増殖、分化、細胞死、細胞老化など、細胞の様々なふるまいに関わる因子である。細胞の状態を監視する役割を持ち、DNA変異やDNA損傷が生じると細胞増殖を停止して、DNAの修復を促す。p53が機能不全に陥ると細胞増殖のブレーキが効かなくなり、無秩序な細胞増殖が起こって、がん化の原因となることが知られている。

 

(5) Olig2 (Oligodendrocyte transcription factor 2)

オリゴデンドロサイトや脊髄運動神経の発生に必須の転写因子。神経系の発生において、アセチルコリンニューロンやアストロサイトなど、複数の神経細胞やグリア細胞の発生にも寄与することが知られている。また、神経前駆細胞の増殖や脳の腫瘍であるグリオーマ(神経膠腫)の進行にも関与しており、様々な機能を持つ。

 

(6) RNAスプライシング

転写後修飾の一つであり、ゲノムDNAからRNA前駆体が合成されたのちに、一部分(イントロンなど)が取り除かれた後に、残りの部分(エクソンなど)を再結合する反応。真核生物において、mRNA や一部の tRNA、一部の rRNA が合成される際に起こる。RNAスプライシングの過程には、Ddx20やSMNを構成因子として含むSMN複合体が重要な働きをする。

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図1

図2

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