【首都大学東京】環境光による記憶維持機構の発見

2020年1月14日

公立大学法人首都大学東京

環境光による記憶維持機構の発見

〜ハエのトラウマ記憶は消去できる!〜

【概要】

 動物は自身の経験を通して記憶を獲得し、それを維持して生存に役立てています。これまでに多くのモデル動物で記憶獲得の分子機構が明らかにされてきましたが、獲得した記憶を長期間維持する機構はよく分かっていませんでした。首都大学東京理学研究科 坂井 貴臣准教授および井並 頌リサーチ・アシスタントらの研究グループは、ショウジョウバエ(以下、ハエ)が環境光を利用して長期記憶を維持していることを発見し、この「光による記憶維持」の分子メカニズムを明らかにする研究を行いました。その結果、光により神経ペプチドPDF(神経伝達物質の一種)が放出されると、ハエ記憶中枢におけるCREBという転写因子が活性化し、記憶中枢で新規遺伝子が発現することで長期記憶が維持されることを突き止めました。この成果は、光の有無や遺伝学的な操作により、長期記憶の維持もしくは消失をコントロールできる可能性を示しています。長期記憶は一度獲得されると簡単には忘却されず、消去が困難です。そのため、トラウマによる記憶など、動物にとってネガティブな記憶が残り続けてしまうという弊害をもたらしてしまいます。今回の研究成果は、将来、トラウマ記憶の消去技術の発展に寄与するかもしれません。

【ポイント】
(1)動物が獲得した記憶を長期間維持する過程に環境光が影響を与えるかどうかを、遺伝学の発達しているショウジョウバエを用いて調べました。
(2)ハエでは獲得した記憶を維持するために光の入力が必須であることを発見しました。せっかく記憶を獲得しても2日間恒暗条件下でハエを飼育すると長期記憶が消失してしまいます。
(3)ハエで発見された「光による長期記憶維持システム」には、PDFという神経ペプチドの光依存的な放出が関与し、その結果、記憶中枢の転写因子CREBが活性化することが明らかになりました。
(4)我々の研究は「長期記憶を維持させないことで消去できる」ことを示しています。将来的にはトラウマ記憶の治療原理の創造や消去技術の開発へと発展することが期待されます。

■本研究成果は、1月13日付け(米国東部時間)で、Society for Neuroscience(北米神経科学会)が発行する英文誌Journal of Neuroscienceに発表されました。本研究の一部は、JSPS科研費(基盤研究(B)16H04816、新学術領域「性スペクトラム」18H04887)の助成を受けたものです。

研究の背景

 光は動物の脳機能に影響を与え、動物の約1日の行動周期や睡眠・覚醒などの調節に役立っています。人やマウスは物を覚える時、すなわち「記憶を作る」時にも環境光の影響を受けます。しかし、獲得した記憶を維持する過程において、そもそも光のような外部環境要因が影響を与えるのかは明らかにされていませんでした。本研究では遺伝学的ツールが豊富なハエを用いてこの課題に取り組みました。

動物は1日を通して様々な記憶を獲得しますが、翌日にはそのほとんどを忘れてしまいます。しかし、非常にインパクトのある経験や同じ経験の繰り返しにより獲得された新たな記憶は、安定した長期記憶へと変換されます。長期記憶の形成には、転写因子CREBの活性化や、それに伴う新規タンパク質合成が不可欠であることが様々な動物種において報告されています。その一方で、長期記憶が維持されるメカニズムの詳細はよく分かっていませんでした。本研究では、ハエが環境光を利用して長期記憶を維持しているという驚くべき事実を見出し、その分子メカニズムを明らかにしました。

研究の詳細

 哺乳類では、過度なストレスによるトラウマ記憶によりオスの性的モチベーションが長期間低下することが知られています。昆虫であるショウジョウバエでも同様の現象が知られており、「求愛条件付け」と呼ばれています。オスはメスの性フェロモンに反応して求愛を始めますが(図1①)、一度交尾したメスは、求愛するオスに対して過度なストレス(性交拒絶、オスが忌避する匂い物質)を与えます(図1②)。このメスからのストレス刺激に長時間さらされたオスは、その後、未交尾のメスとつがわせてもあまり求愛しなくなります。求愛条件付けでは、メスからストレスを受けたオスのトラウマ記憶により、求愛モチベーションが低下すると考えられています(図1③)。本研究では、このようなハエのトラウマ記憶を利用して、環境光がトラウマ記憶に及ぼす影響について研究しました。

図1

図1 求愛条件付けによるトラウマ記憶の測定

 求愛条件付けでは、未交尾のオスを交尾したメスと7時間以上つがわせ(7時間学習)、その後オスを明暗サイクル条件下(明期12時間、暗期12時間)で飼育すると、少なくとも5日間以上持続するトラウマ記憶(長期記憶)が確認されます。しかし、7時間学習直後から恒暗条件下で5日間オスを飼育すると、長期記憶が消失していました。さらに、24時間だけ恒暗条件下で飼育しても長期記憶は維持されるものの、48時間続けて恒暗条件下で飼育すると長期記憶が消失することが分かりました。

 今回発見した「光による長期記憶維持システム」の分子機構を解明するため、光受容タンパク質が発現しているハエ脳内のPDFニューロン、および、PDFニューロンから分泌される神経ペプチドPDF(神経伝達物質の一種)に着目して研究を行いました。その結果、明暗サイクル条件下においても、PDFの発現を抑制すると長期記憶を維持できなくなることを発見しました。また、恒暗条件下でPDFニューロンを人為的に活動させると、長期記憶を維持できるようになったことから、PDFニューロンが長期記憶の維持に必須であることが判明しました。さらに、PDF受容体が働かない変異体においても長期記憶が確認されなかったことから、光によりPDF/PDF受容体を介した情報伝達経路が活性化されて長期記憶が維持されることが分かりました。

 PDF受容体の活性化は細胞内のcAMP(細胞内の情報伝達にかかわる物質)の濃度を上昇させます。また、転写因子CREBはcAMPの上昇に伴い転写が活性化されます。長期記憶の維持にCREBの転写活性が必要かどうかを明らかにするため、ハエの記憶維持期に、記憶中枢において特異的にCREBの転写を抑制したところ、長期記憶が消失しました。この結果は、長期記憶を維持するために転写因子CREBの活性化による新たな遺伝子発現が必要であることを意味しています。さらに、ハエ記憶中枢におけるCREBの転写活性を測定したところ、CREB活性が光とPDF受容体により制御されていることも明らかにしました。以上の結果から、環境光によりPDF/PDF受容体/CREB経路が活性化され、その結果ハエの長期記憶が維持されると考えられます(図2)。

図2

図2 光による長期記憶維持システム

研究の意義と波及効果

 長期記憶は一度獲得されると長期間維持されるため、動物が自然界で生き抜くために必須な脳機能であると言えます。一方、長期記憶は簡単には忘却されず消去が困難であるため、トラウマによる記憶などのネガティブな記憶も残り続けてしまうという弊害も生じます。本研究では、ハエのトラウマ記憶を維持する機構が光を利用したものであることを明らかにしました。もし、人でも光を利用してトラウマ記憶が維持されていれば、非侵襲的にトラウマ記憶を消去することができるかもしれません。今後の研究にゆだねられますが、将来的には人のトラウマ記憶の治療原理の創造や消去技術の開発へと発展することが期待されます。

発表論文

“Environmental light is required for maintenance of long-term memory in Drosophila.”

Show Inami, Shoma Sato, Shu Kondo, Hiromu Tanimoto, Toshihiro Kitamoto, and *Takaomi Sakai.

Journal of Neuroscience (2020)

DOI:https://doi.org/10.1523/JNEUROSCI.1282-19.2019

関連リンク

・首都大学東京公式ホームページ

・教員紹介 坂井 貴臣 准教授

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図1

図2

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